第三部
稲妻龍の解説
Ryu's-eye view
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天才たちの言葉3
In the beginning was the Word
はじめに言葉(※ロゴス)ありき
Εν αρχηι ην ο Λόγος

The person who seeks power is For the most part Only those who are not qualified to have such power.
権力を求める人間というのは、だいたいにおいて
そんな権力を持つ資格のない者だけである。
Abraham Harold Maslow
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Tolstoy's Prophecy
第五部 松居桃楼資料集

稲
妻
龍
稲妻龍壁画inNY Wall painting by Banksy (ウソ)
まずは、いきなり昔ばなしから始めることを、お許し願いたい……
〈長年の疑問〉というのはどなたにも、一つ、ふたつはおありだろう。
私(稲妻 龍)の場合、「聖書の記述内容が、同じ神でありながら、神と主(のちの松居氏の解説では、慈しむ神エロヒム、荒ぶる主アドナイ)、そのふたつの主語によって、なぜ二重人格者のように極端に異なるか」という、それこそ一般の人にはどうでもいいようなことだった。
私自身は、昔も今も、キリスト教とはまったく無縁で、英語やドイツ語を勉強する過程で知り合ったNativeの先生に誘われて、聖書の勉強会へ顔を出す程度の関りだった。部外者だからこそ気になった疑問だったに違いない。
……あれは私が社会人になって2年目、大学の後輩で漫画家だったもと奥さんと結婚してまだ1年目の頃だった。たまたま近所の図書館で手にした「黙示録の秘密」を読んで、その瞬間、目から鱗が落ちた。これこそずっと探し続けていた回答だった。どの聖職者に訊いても巧くはぐらかされていた答えが、そこに出し惜しみもなく書かれていた。長年の疑問は言葉通り、まるで氷が融けるかのようにとけ、それだけでは終わらずに〈永遠の命に至る奥義〉という超豪華すぎる特別付録までオマケについていた。
そのとき強烈に感じたのは、この人はいったい誰なんだ、神か、仏か、ペテン師か、あるいは本人がいうようにただの大法螺吹きなのか、とにかく「会いたい」、どんな人間か実際に会ってこの目で確かめてみたいという衝動、今風にいえば、クリティカルヒット……ハートを撃ち抜く快心の一撃(笑)だった。
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――私が松居桃楼さんと初めてお会いしたのは、1990年の初冬だった。
きっかけは、いま述べた通り、家の近くの図書館で「黙示録の秘密」という本と出合ったこと……
あまりの面白さに、「柏樹社」という出版社に電話をして、著者の連絡先を教えていただき、速攻で電話をしたところ、たまたま引っ越し先の水戸から、元の住居、箱根仙石原の無名庵に荷物を取りに戻っていた田所静枝さんが電話に出られて、今思えばまったくの若気の至りで「実はマンガで世界変革(^^;)をしたいのですが、悦っちゃんみたいに僕らも桃楼おじいさんから、直接お話を聞かせてもらえませんか?」と愚直に懇願した。
田所静枝さんによれば、あの日、あのわずかな時間に電話をもらわなければ、絶対につながらなかったという。電話がつながったのはほとんど奇跡だったらしい。後日「何回かお電話をおかけになっていたのですか?」と聞かれて「いいえ、あのときが初めてです」と告げるとさらに驚かれていた。
関西からアポなしではるばる話を聞きに来たお偉いさんを門前払いするようなおじいちゃん(田所静枝さんから実際に聞いた話)なのに、なぜ僕らのようなどこの馬の骨とも分からぬ若造と会ってくれたのか、不思議だった。
しかし、その謎がとけたのが「神の王国は汝らのうちにあり」を頂いて、家に持ち帰って読んだときだった。
作品後半に登場する、SF漫画のプロットとして描かれていたマンガで世の中を改善しようとする若者たちの話、壊れかけたビルの地下で夢を追う青年たちは、まさに当時の私たちの姿そのものだった。(私たちは古いビルの2階だったのだが)
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当時は消防士をしていた私と、漫画家だったもと奥さんの風変わりな二人組は、おふたりの目にどう映っていたのだろう。
桃楼おじいさんは『日出処の天子』山岸凉子の大ファンだったらしい。いつか誰か自分のはなしを漫画にしてくれないか、そんな若者たちと出会えないか、と毎日天に祈っていたそうな。
水戸のご自宅で初めてお会いする前に、事前に郵送で「ディプログラマー」という人類滅亡の未来を慧眼をもつ老人の協力を得た若者たちが救うというSF漫画のプロットをお送りしていたところ、これも後に田所静枝さんから聞いた話によれば、「天に祈りが通じた!」とたいへん喜んでおられたらしい。
絵を見た桃楼おじいさんから「お爺さんはね、もっと痩せて書くとお爺さんぽくみえるんだよ」など、数々のアドバイスを頂いた……
※
――1990年の初冬、はじめて水戸のご自宅を訪れ、居間へ通じる敷居をまたごうとした瞬間、桃楼おじいさんは、突然「ちょっとお待ちなさい、あなたがたお二人は、私の話を最後まで命をかけて聞くおつもりがおありですか?」と澄み渡る、まるで舞台の主役が放つ最初の一声のような、何千人もいる観客席の最奥まで届くがごとく響き渡る聲で言った。
あのときの突然の落雷のような、魂を射抜く聲は今も忘れられない。命を賭けて聞くつもりがあるかを私たちに問うたということは、みずからもまた命を賭して語る覚悟だった……ということだ。
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何もわからずただ弱々しく「はい…」と答え、すごすごと敷居をまたいだ私たちに、桃楼おじいさんは、命をかけた講義、演劇、脚本、舞台、そ
の他諸々のミステリー、まさに〈奥義〉? を延々と6時間にわたって話してくれた。
……例えば、26歳の頃、たまたま、二二六事件で決起文を読み上げる青年将校たちと、それを応援しようと集まった市民たちに遭遇し、間に挟まったまま様子を見ていたら、決起文を読み上げた兵士があまりに小さな声でもごもご喋ったので終始何を言っているか分からず、せっかく加勢しようと集まった市民は散りじりになってしまった……
発声法を含め、演劇の基本を学ぶことがいかに大切か――という歴史の貴重な実体験の証言とか。
……もう一例を挙げれば、桃楼おじいさんの私塾的な集まりに参加していた青年たちの中の二人が、恐らく桃楼おじいさんの中年期過ぎの頃の出来事
と思われるが、最後の講義が終了すると、桃楼おじいさんの前に歩み出て「実は私たちは、公安から派遣された警察官です。松居先生の思想が国家
を転覆させる危険思想でないか、国家に対する反社会的活動を煽動しようとしているのではないか、この1年間潜入調査しました。あなたのお考えは、
危険思想どころか、人類がどうすれば幸せになれるか、永遠の命にたどり着くにはどうしたらよいか、それを命を賭けて私たちに伝えてくれました。
内偵したことで、私たちもいろいろと勉強になりました。ありがとうございました」と深々と頭を下げて帰ったという……
――その後、1994年にお亡くなりになるまで、結局は延べ3回、18時間以上に及ぶ、主に創作に関わる講義と、そのほか、お見舞いなどで伺いさらに複数回、お話を伺ったり、アドバイスをいただくことができた。
松居桃楼氏は自分のことを「桃楼おじいさん」と呼んでいいよ、と初めて会ったときから言ってくださり、敷居をまたいで以降は、私たちの無知に怒ることもなく、それでも「若い人の中ではいいほうだけれど、まだまだ勉強が足りませんな」とはっきり叱られたけれど……好々爺のような優しいおじいさんだった。
松居桃楼という人物そのものに関しては私に語る資格もなく、それについては田所静枝さんが、彼女の鋭い観察眼で、一連の著作に詳細に記されているので、そちらを参照していただくこととして……。
では、おまえ自身が松居桃楼という人間と実際に会ってその目で確かめてみてどうだったか? ひとことで言えばどんな人だったのか? と、もし尋ねられれば、〈敬虔なひかり〉のような人であると、私は答えるだろう。
※
世の中には敬虔だからこそ見れることがあり、敬虔でないとまったく見えないもの、その存在にすら気づかない次元がある。(※next text「敬虔というひかり」参照)
既成の価値観、更新し忘れの思考回路、古びたロジカルシンキングを手放し、非言語領域(ノンバーバルな空間)へ身を委ね、自我(エゴ)をリリースして宇宙(ユニバース=永遠)と一体となり、無(空)になった瞬間、そこに現れる未知なるものこそが真理――そして、その未知なるものを恐れずに受け入れることが敬虔である――とするならば……
私には、聖書の暗号解読に至った真理追及の道、その過程で惜しげもなく披露する点を線にする論理構成能力、さらにすべての宗教が同根であること〈万物一如〉を看破するに至った洞察力、人間の本質を見通す鋭い観察眼……は、博学な知識や瞑想だけではなく、そこには人間だけでなく微生物を含むすべての命あるものを慈しむ〈敬虔という目〉、フィロソフィア(真理を愛する者)の慧眼――が必要だと考える。桃楼おじいさんにはそれらすべて+αが備わっていたのだと思う。
なぜ蟻の街を命を賭してやったのかを問われた桃楼おじいさんが「それは私のユーモア(ヒューモア)だ、だからこそ、命をかける価値がある」と答えたのを、私は決して見逃さない。いや参った、桃楼おじいさん、あなたはカッコ良過ぎる……、桃楼おじいさんは、先生と呼ばれたり、おだて(ようとする相手)が大嫌いだったから、これ以上は言わないけれど、これぞ、究極の humorous(ヒューモラス) ではあるまいか。
〈トルストイの予言〉――人類撲滅戦争の前に、それを未然にくいとめる素晴しく大きな力が出現し、それは〈新らしい宗教〉というよりも、むしろ、これまでの人間の既成概念では、まったく想像もつかないような〈ものの考え方〉なのだ――という件(くだり)は、(私のような凡人には、実際の答えはまったく想像もつかないのだが)まさに上述のようなこと、クールで斬新な思考法や、究極の humorous(ヒューモラス) 、といったら平面的な表現に過ぎるのだが、そのような方向性、そのベクトル上の先にあるなにか、その概念を表すには新たな造語が必要となる、αなのではないだろうか。
これまで、神秘的体験で経験する悟り、ひらめき、気づきなどは、瞑想、断食、滝行、座禅…といった艱難辛苦の厳しい修行の果てにあった。しかし、100匹目のサルではないが、これからは、それらをスルーして、同様の経験が瞬時にできる若い人たちがどんどん増えてくると、私は予想する。
なぜなら、厳しい修行をした人の話を聞いたり、その著作を読むことで、読者は同じ経験をしたことになる(と、桃楼おじいさんは、はっきり言っていた)からだ。初めて聞いたときはピンと来なかったが、今思えば、なんとなく分かる。修行をした人の痛みを感じるくらい完全に一体化・エンパシーして聞いた体験、例えば、身体に聖痕の痛みを感じるほど真剣に聖書を読んだ経験は、その人自身の経験値にそっくり加算される。
少なくともこのサイトの読者、松居桃楼氏の知見をその文章の端々から汲み取った聡明なる読者は、デモンの呪い(迷信、先入観、まやかし、刷り込み、洗脳、自己欺瞞、おだて、忖度、「〇〇ファースト、エビデンスはない」といった人を思考停止にする呪文、etc.…)から解放され、フィロソフィア(愛智)の一人となり、世の中のからくりを直感的に見抜けるようになる。それが100人を超えたとき、まったく関係ない場所から、日本中、さらに世界中から、まるでひょっこりはんのように、101匹目のサル、フィロソフィアたちが次々と誕生する。
彼らは、世の中の仕組みや、混乱の原因が、資本主義VS共産主義、大金持ちVS貧乏人、権力者VS被権力者ではなく、支配者VS被支配者でもなく(それはあくまで表面的なことであり、その土俵、表層へいったんクビを突っ込めば、時間浪費の無間地獄に陥り、永遠の雲の中の空中戦と人智を引きずり込むこれまでの不毛な視座、〈悪魔のわな〉にすぎず)……
――その本質は、汎知性VS反知性(パンソフィアVSパラノイド、ざっくり言えば、真理に向き合っているか、背を向けているか)であることを、すでに知っている。
エッジの利いたナイフのような思考回路(笑)を持ち合わせた彼らは、世の中のウソをことごとく切り裂き、真価は何か、本質は何か、真実は何か、真理は何かを暴いていく。
私は、彼ら(あるいはあなた方といってもいい)、これから夥しく出現するであろう真理を愛する人々、フィロソフィアのことを、勝手な造語で「Evaluator(エバリュエータ=評価者、審判者、新たな価値を創出する者)」と呼んでいる。
※
「Evaluator(エバリュエータ=評価者、審判者、新たな価値を創出する者)」とは物事の真価を既成概念にとらわれずに直感で見抜くことのできる異才たちのことである。彼らは事象の本質を世間の常識や思い込みにとらわれずに人並み外れた驚異的な才能で見抜く、フィロソフィアの慧眼(言わば「神の眼」)を持つ進化の次世代人たち。
終末という危機的状況が生み出した私生児か、人類進化の最終形態か、はたまた神々の驚くべき恩寵〈アメージング・グレース(Amazing Grace)〉か。姿かたちは私たちと寸分変わらないにもかかわらず、その憂いを帯びた瞳は人類の行く末を冷徹に予見し、あらぶる人々には悪魔を凌ぐ鉄槌を加え、虐げられた人々には神にも優る慈母の愛を注ぐ。
彼らが世界を震撼させた最大の武器は、軍事力でも政治力でも、まして経済力でもない。彼らの持っている最大の力は、それこそがトルストイの言う、〈《新しい宗教》というよりも、これまでの人間の既成概念ではまったく想像もつかないような《ものの考え方》〉なのだ。
混沌たる現代社会に突如現れた異才たちは価値観を喪失した人類に新たな物語を紡ぎ出し、それまで誰も想像し得なかった価値の地平、まだ見たこともない新世界の基軸、nouveau régime を提示する。
『エバリュエータ』はわれわれの間に密かに息づき萌芽の時を待つ。最終戦争、それは真近に忍び寄る聖書に記された「最後の審判」の時である――の号砲ととともに、遥か悠久の時(※)を超え、それは出現する。
※
さて、調子に乗ってあまりいい加減なことを書いていると、また桃楼おじいさんに叱られそうなので、このへんで話を戻すが……
桃楼おじいさんをひとことで言えばどんな人だったか――
そのこたえは……〈敬虔なひかり〉のような人であった。
米津玄師の名曲「Lemon」の「……今でもあなたは私の光」という歌詞 は、ご本人によれば、別れた恋人ではなく、実はこよなくご自身を慈しんでくれた、亡くなられたおじい様をイメージして作られたそうな。
「Lemon」のラストフレーズにあやかれば、松居桃楼は、私の中に今も燦然と輝く〈わが内なるひかり〉である……
――人生は無価値、学校は収容所、会社は蟹工船、人間なんか滅びればいい、人間いつか死ぬのだから努力は無意味、自己犠牲なんてまっぴら御免、小さな親切 大きなお世話、 友達のともだちはみんな友達 じゃなくてアカの他人、いつも自分は五番目の車輪(役立たず)、右か左 迷って真っすぐに高く飛んだら捻挫した、好きな言葉はムーミンに出てくるじゃこうねずみさんの「むだじゃ、むだじゃ」……
――荒(すさ)んだ心、ねじ曲がった根性、ささくれ立った感性、干からびて枯渇した魂、液体窒素で凍結保存された情熱、小学校の通知表の連絡欄に「稲妻君は世間を風刺して見る傾向がある」と先生に書かれてしまうほど、ガキの頃から人と距離をおく習性(病気で幼稚園に行けなかったというハーロウの隔離ザル実験のような幼少期の背景があるにしても)、根無し草のような日々……
――を過ごしていた私がエンカウンターした「未知との遭遇」、広大無辺な緑のオアシス、乾いた喉を潤す〈真理への愛〉という無尽蔵の水、空腹を癒す〈智慧〉という無限の糧(かて)、死にかけた情熱を揺さぶり起こす地響きのように強烈な〈自由意思〉という波動、永遠の生命を守るケルビムの碧く静かに輝く焱(ひかり)……
心身がどれほど疲弊しようとも、その存在がどの栄養ドリンクよりも効くモンスター・エナジードリンク(しかもノンカフェイン、カロリーオフ)……
世の中がどれほど混乱しようとも、その言葉(ロゴス)が、不安という幻想を撃退し、心に安らぎ、静穏、慈悲、寛容を与える究極の精神安定剤(しかも副作用ゼロ)……
――それが松居桃楼である。
※
もう一人忘れてはならないのは、松居桃楼氏の常人には理解しがたい煌(きら)めく雲上の言葉の数々を、理解し、記録し、咀嚼し、万人が読める著作へと変容(Transform)させた田所静枝女史である。
自分のことをドン・キホーテに寄り添うサンチョパンサと表現したが、ご自身が予感した聖なるものの原型(Proto-type)を求めて一直線、勇猛果敢に突き進む姿は、私から見れば田所静枝さんこそが
ドン・キホーテであり、天竺めざして邁進する三蔵法師そのものであるとしか思えない。真理への愛情・情熱は計り知れず、厳格・厳正なご性格であるにもかかわらず、桃楼おじいさん同様、私たちには終始なごやかな笑顔で接してくださったことを想うと、ほんとうに頭が下がる。
めったに本音を語ることのない松居桃楼氏の言葉を録音し続け、整理し、文字を起こし、編集し、本という形にした作業はどれほど大変なご苦労だったか。松居桃楼氏の死後に見せていただいた、箱に入った録音テープは厖大な量に及んでいた。
その録音テープは、現在、田所静枝さんの弟様の手に渡り、弟様に学ぶ学生たちが仕分け作業をしていると漏れ伝え聞くところである。
※
田所静枝さんの存在なくして、松居桃楼氏の「黙示録の秘密」、「消えたイスラエル十部族の謎」に書かれてある内容(Contents)が本という形になって私たちの目の前に現れることはなかった。
あの日、向こうみずな私の電話に出ていただかなければ、私たちが出会うことはなく、この「トルストイの予言」という本が刊行されることも、永遠になかった。
※
少しおおげさな言い方を許してもらえるなら、松居桃楼氏の放つ〈永遠の生命へ導く碧く静かに輝くケルビムの焱〉、 田所静枝女史の放つ〈真理への長く曲がりくねった道を明るく一直線に照らす橘色の一閃の焔〉、この両者が蟻の街で邂逅し、想い描いた未来、トルストイ流にいえば「神の王国」を、私たちは今この瞬間にもおふたりに思いを馳せることで、同調、Synchronicity、再現、イマジン、追体験できる。
――なんと豊潤、 ecstasy、贅沢、幸せなことか。
めったに本音を語ることのない松居桃楼氏の言葉を録音し続け、整理し、文字を起こし、編集し、本という形にした作業はどれほど大変なご苦労だったか。松居桃楼氏の死後に見せていただいた、箱に入った録音テープは厖大な量に及んでいた。
その録音テープは、現在、田所静枝さんの弟様の手に渡り、弟様に学ぶ学生たちが仕分け作業をしていると漏れ伝え聞くところである。
※
田所静枝さんの存在なくして、松居桃楼氏の「黙示録の秘密」、「消えたイスラエル十部族の謎」に書かれてある内容(Contents)が本という形になって私たちの目の前に現れることはなかった。
あの日、向こうみずな私の電話に出ていただかなければ、私たちが出会うことはなく、この「桃楼おじいさんの大冒険」という拙(つたな)いサイトが立ち上がることも、永遠になかった。
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松居桃楼氏の放つ〈永遠の生命へ導く碧く静かに輝くケルビムの焱〉、 田所静枝女史の放つ〈真理への長く曲がりくねった道を明るく一直線に照らす橘色の一閃の焔〉、この両者が蟻の街で邂逅し、想い描いた未来、トルストイ流にいえば「神の王国」を、私たちは今この瞬間にもおふたりに思いを馳せることで、同調、Synchronicity、再現、イマジン、追体験できる。
――なんと豊潤、 ecstasy、贅沢、幸せなことか。
※
ここまでこのサイトを一気に(or根気強く?)読んでこられたあなたは、既に〈フィロソフィアの慧眼を持つ進化の次世代人〉のひとりに違いない。これからは、ものごとの真価を、既成概念にとらわれずに瞬時に直感で見抜き、様々な困難課題を難なくクリアし、新たな価値(より正確にいえば本来あるべき価値、いにしえの時代より人類が連綿と希求してきた普遍的な価値、 The universal value that humankind has sought after since ancient times)を創造していくだろう。
寛容で柔軟なものの考え方、お互いを理解し助け合う優しい心、Diversity(多様)であることを喜び尊重するセンス、相手の傷みを思い遣るEmpathy(共感)力、それら豊かな感性を共有することがあたりまえの日常となる世界への導き手―― となり、様々なクリエイティブな活動を通して、時代を牽引していかれる。
ジョン・レノンがイマジンで歌った「何も所有せずにみんながただ平和に生きている、まるで家族のように……誰かが欲張ったりさえしなければ誰も飢えたりすることもない、殺す理由もなく死ぬ理由もない」
あるいはDa-iCEががCITRUSで歌った「上も下も無い世界で包み込んで…無作為に伸びている雑草も自由を摑んでいる それぞれの未来が咲き誇る」
そんなクールな未来社会のビジョンを、やがて実体化する。
人類史上最大のゲーム、難易度マックス(=機能快マックス)の
The Greatest Game Ecstasy Max Real が、ついに今、始まろうとしている。(あっ、スイマセン、今までのはチュートリアル、本番はこれからなんです(;^_^A))
そして、その主人公はあなただ。
スタートボタンを押すか、押さないかは、あなた次第である。
松居桃楼氏の言葉・思想・大法螺を余すことなく、次世代のあなたへバトンタッチできたとすれば、思い残すことはない。
なぜならば、それこそが、本サイトの願い、祈りだからである。
※
ああっ、調子に乗って余計なことを書きすぎた―― 桃楼おじいさんに、
あの世で再会したとき、きっとまた叱られるに違いない……
「まだまだ、勉強が足りませんな……」
Life is too ephemeral and short to talk about eternity. But for those who once touched the dragon's tail,
called "eternity", it wouldn't be a big deal. Because the moment he touches eternity, he becomes part of it.
永遠(の生命や神……)を語るには、人生はあまりに儚く短い。
しかし、一旦「永遠」という龍の尻尾に触れた者にとって、
それは大した問題ではなくなる。 なぜなら、それに触れた
瞬間、彼自身もまた永遠の一部となるからである。
稲妻 龍
ここまでこのサイトを一気に(or根気強く?)読んでこられたあなたは、既に〈フィロソフィアの慧眼を持つ進化の次世代人〉のひとりに違いない。これからは、ものごとの真価を、既成概念にとらわれずに瞬時に直感で見抜き、様々な困難課題を難なくクリアし、新たな価値(より正確にいえば本来あるべき価値、いにしえの時代より人類が連綿と希求してきた普遍的な価値、 The universal value that humankind has sought after since ancient times)を創造していくだろう。
寛容で柔軟なものの考え方、お互いを理解し助け合う優しい心、Diversity(多様)であることを喜び尊重するセンス、相手の傷みを思い遣るEmpathy(共感)力、それら豊かな感性を共有することがあたりまえの日常となる世界への導き手―― となり、様々なクリエイティブな活動を通して、時代を牽引していかれる。
ジョン・レノンがイマジンで歌った「何も所有せずにみんながただ平和に生きている、まるで家族のように……誰かが欲張ったりさえしなければ誰も飢えたりすることもない、殺す理由もなく死ぬ理由もない」
あるいはDa-iCEががCITRUSで歌った「上も下も無い世界で包み込んで…無作為に伸びている雑草も自由を摑んでいる それぞれの未来が咲き誇る」
そんなクールな未来社会のビジョンを、やがて実体化する。
人類史上最大のゲーム、難易度マックス(=機能快マックス)の
The Greatest Game Ecstasy Max Real が、ついに今、始まろうとしている。(あっ、スイマセン、今までのはチュートリアル、本番はこれからなんです(;^_^A))
そして、その主人公はあなただ。
スタートボタンを押すか、押さないかは、あなた次第である。

松居桃楼氏の言葉・思想・大法螺を余すことなく、次世代のあなたへバトンタッチできたとすれば、思い残すことはない。
なぜならば、それこそが、本サイトの願い、祈りだからである。
※
ああっ、調子に乗って余計なことを書きすぎた―― 桃楼おじいさんに、
あの世で再会したとき、きっとまた叱られるに違いない……
「まだまだ、勉強が足りませんな……」
Life is too ephemeral and short to talk about eternity. But for those who once touched the dragon's tail,
called "eternity", it wouldn't be a big deal. Because the moment he touches eternity, he becomes part of it.
永遠(の生命や神……)を語るには、人生はあまりに儚く短い。
しかし、一旦「永遠」という龍の尻尾に触れた者にとって、
それは大した問題ではなくなる。 なぜなら、それに触れた
瞬間、彼自身もまた永遠の一部となるからである。
稲妻 龍


Tolstoy's Prophecy
トルストイの予言
悪魔学(デモノロジイ)入門より
