top of page

 汝自身を知れ。さすれば汝は γνῶθι σεαυτόν 

序章

エピローグ
WS000010.JPG
OIP (1).jpg
3826_ihD0mX_pTyMft.jpg!r550x0.jpg

 まずは、いきなり昔ばなしから始めることを、お許し願いたい……

 

 〈長年の疑問〉というのはどなたにも、一つ、ふたつはおありだろう。

 私(稲妻 龍)の場合、「聖書の記述内容が、同じ神でありながら、神と主(のちの松居氏の解説では、慈しむ神エロヒム、荒ぶる主アドナイ)、そのふたつの主語によって、なぜ二重人格者のように極端に異なるか」という、それこそ一般の人にはどうでもいいようなことだった。

 私自身は、昔も今も、キリスト教とはまったく無縁で、英語やドイツ語を勉強する過程で知り合ったNativeの先生に誘われて、聖書の勉強会へ顔を出す程度の関りだった。門外漢からこそ気になった疑問だったに違いない。

 ……あれは私が社会人になって2年目、大学の後輩で漫画家だったもと奥さんと結婚してまだ1年目の頃だった。たまたま近所の図書館で手にした「黙示録の秘密」を読んで、その瞬間、目から鱗が落ちた。これこそずっと探し続けていた回答だった。どの聖職者に訊いても巧くはぐらかされていた答えが、そこに出し惜しみもなく書かれていた。長年の疑問は言葉通り、まるで氷が融けるかのように氷解し、それだけでは終わらずに〈永遠の命に至る奥義〉という超豪華すぎる特別付録までオマケについていた。

 そのとき強烈に感じたのは、この人はいったい誰なんだ、神か、仏か、ペテン師か、あるいは本人がいうようにただの大法螺吹きなのか、とにかく「会いたい」、どんな人間か実際に会ってこの目で確かめてみたいという衝動、今風にいえば、クリティカルヒット……ハートを撃ち抜く快心の一撃だった(笑)。 

 

                 ※  

――私が松居桃楼さんと初めてお会いしたのは、1990年の初冬だった。

 きっかけは、いま述べた通り、家の近くの図書館で「黙示録の秘密」という本と出合ったこと……

 あまりの面白さに、「柏樹社」という出版社に電話をして、著者の連絡先を教えていただいた。当時は個人情報保護法もなく、おおらかな時代だったのだ。速攻で電話をしたところ、引っ越し先の水戸から、元の住居、箱根仙石原の無名庵にたまたま荷物を取りに戻っていた田所静枝さんが電話に出られて、今思えばまったくの若気の至りで「実はマンガで世界変革(^^;)をしたいのですが、悦っちゃんみたいに僕らも桃楼おじいさんから、直接お話を聞かせてもらえませんか?」​と愚直に懇願した。

 田所静枝さんによれば、あの日、あのわずかな時間に電話をもらわなければ、絶対につながらなかったという。電話がつながったのはほとんど奇跡だったらしい。後日「何回かお電話をおかけになっていたのですか?」と聞かれて「いいえ、あのときが初めてです」と告げるとさらに驚かれていた。

 関西からアポなしではるばる話を聞きに来たお偉いさんを門前払いするようなおじいちゃん(田所静枝さんから実際に聞いた話)なのに、なぜ僕らのようなどこの馬の骨とも分からぬ若造と会ってくれたのか、不思議だった。

​ しかし、その謎がとけたのが「神の王国は汝らのうちにあり」という作品が載った出版社の冊子(「地湧」1984 7・8合併号)を頂いて、家に持ち帰って読んだときだった。

 作品後半に登場する、SF漫画のプロットとして描かれていたマンガで世の中を改善しようとする若者たちの話、壊れかけたビルの地下で夢を追う青年たちは、まさに当時の私たちの姿そのものだった。(私たちは古いビルの3階だったのだが)

 当時は消防士をしていた私と​、漫画家だったもと奥さんの風変わりな二人組は、おふたりの目にどう映っていたのだろう。

 桃楼おじいさんは日出処の天子』山岸凉子大ファンだったらしい。いつか誰か自分のはなしを漫画にしてくれないか、そんな若者たちと出会えないか、と毎日天に祈っていたそうな。

 水戸のご自宅で初めてお会いする前に、事前に郵送で「ディプログラマー」という人類滅亡の未来を慧眼をもつ老人の協力を得た若者たちが救うというSF漫画のプロットをお送りしていたところ、これも後に田所静枝さんから聞いた話によれば、「天に祈りが通じた!」とたいへん喜んでおられたらしい。

 絵を見た桃楼おじいさんから「お爺さんはね、もっと痩せて書くとお爺さんぽくみえるんだよ」など、数々のアドバイスを頂いた……

                ※

――1990年の初冬、はじめて水戸のご自宅を訪れ、

居間へ通じる敷居をまたごうとした瞬間、桃楼おじい

さんは、突然「ちょっとお待ちなさい、あなたがたお

二人は、私の話を最後まで命をかけて聞くおつもりが

おありですか?」と澄み渡る、まるで舞台の主役が放

つ最初の一声のような、何千人もいる観客席の最奥ま

で届くがごとく響き渡る聲で言った。

 あのときの突然の落雷のような、魂を射抜く聲は今

も忘れられない。命を賭けて聞くつもりがあるかを私

たちに問うたということは、こちらの回答如何によっ

てはみずからもまた命を賭して語る覚悟だった……

ということだ。

 何もわからずただ弱々しく「はい…」と答え、

すごすごと敷居をまたいだ私たちに、桃楼おじい

さんは、命をかけた講義、演劇、脚本、舞台、そ

の他諸々のミステリー、まさに〈奥義〉? を延

々と6時間にわたって話してくれた。

……例えば、26歳の頃、たまたま、226事件で

決起文を読み上げる青年将校たちと、それを応援

しようと集まった市民たちに遭遇し、間に挟まっ

たまま様子を見ていたら、決起文を読み上げた兵

士があまりに小さな声でもごもご喋ったので終始

何を言っているか分からず、せっかく加勢しよう

と集まった市民は散りじりになってしまった……

発声法を含め、演劇の基本を学ぶことがいかに大

切か――という歴史の貴重な実体験の証言とか。

……もう一例を挙げれば、桃楼おじいさんの私塾

的な集まりに参加していた青年たちの中の二人が、

恐らく桃楼おじいさんの中年期過ぎの頃の出来事

と思われるが、最後の講義が終了すると、桃楼お

じいさんの前に歩み出て「実は私たちは、公安か

ら派遣された警察官です。松居先生の思想が国家

を転覆させる危険思想でないか、国家に対する反

社会的活動を煽動しようとしているのではないか、

この1年間潜入調査しました。あなたのお考えは、

危険思想どころか、人類がどうすれば幸せになれ

るか、永遠の命にたどり着くにはどうしたらよい

か、それを命を賭けて私たちに伝えてくれました。

内偵したことで、私たちもいろいろと勉強になり

ました。ありがとうございました」と深々と頭を

下げて帰って行ったとい……

――その後、1994年にお亡くなりになるまで、

結局は延べ3回、18時間以上に及ぶ、主に創作に

関わる講義と、そのほか、お見舞いなどで伺いさ

らに複数回、お話を伺ったり、アドバイスをいた

だくことができた。

 松居桃楼氏は自分のことを「桃楼おじいさん」と呼んでいいよ、と初めて会ったときから言ってくださり、敷居をまたいで以降は、私たちの無知に怒ることもなく、それでも「若い人の中ではいいほうだけれど、まだまだ勉強が足りませんな」とはっきり叱られたけれど……好々爺のような優しいおじいさんだった。

 松居桃楼という人物そのものに関しては私に語る資格もなく、それについては田所静枝さんが、彼女の鋭い観察眼で、一連の著作に詳細に記されているので、そちらを参照していただくこととして……。

 では、おまえ自身が松居桃楼という人間と実際に会ってその目で確かめてみてどうだったか? ひとことで言えばどんな人だったのか? と、もし尋ねられれば、〈敬虔なひかり〉のような人であると、私は答えるだろう。

                 ※

 

 ここから、話しはしばし(わが内なる光の章まで)脱線するが……

――世の中には敬虔だからこそ見れることがあり、敬虔でないとまったく見えないもの、その存在にすら気づかない次元がある。(※next text「敬虔というひかり」参照)

 既成の価値観、更新し忘れの思考回路、古びたロジカルシンキングを手放し、非言語領域(ノンバーバルな空間)へ身を委ね、自我(エゴ)をリリースして宇宙(ユニバース=永遠)と一体となり、無(空)になった瞬間、そこに現れる未知なるものこそが真理――そして、その未知なるものを恐れずに受け入れることが敬虔である――とするならば……

 私には、聖書の暗号解読に至った真理追及の道、その過程で惜しげもなく披露する点を線にする論理構成能力、さらにすべての宗教が同根であること〈万物一如〉を看破するに至った洞察力、人間の本質を見通す鋭い観察眼……は、博学な知識や瞑想だけではなく、そこには人間だけでなく微生物を含むすべての命あるものを慈しむ〈敬虔という目〉、フィロソフィア(真理を愛する者)の慧眼――が必要だと考える。桃楼おじいさんにはそれらすべて+αが備わっていたのだと思う。

 なぜ蟻の街を命を賭してやったのかを問われた桃楼おじいさんが「それは私のユーモア(ヒューモア)だ、だからこそ、命をかける価値がある」と答えたのを、私は決して見逃さない。いや参った、桃楼おじいさん、あなたはカッコ良過ぎる……、桃楼おじいさんは、先生と呼ばれたり、おだて(ようとする相手)が大嫌いだったから、これ以上は言わないけれど、これぞ、究極の humorous(ヒューモラス) ではあるまいか。

 〈トルストイの予言〉――人類撲滅戦争の前に、それを未然にくいとめる素晴しく大きな力が出現し、それは〈新らしい宗教〉というよりも、むしろ、これまでの人間の既成概念では、まったく想像もつかないような〈ものの考え方〉なのだ――という件(くだり)は、(私のような凡人には、実際の答えはまったく想像もつかないのだが)まさに上述のようなこと、クールで斬新な思考法や、究極の humorous(ヒューモラス) 、といったら平面的な表現に過ぎるのだが、そのような方向性、そのベクトル上の先にある普遍的な何か、その概念を表すには新たな造語が必要となる、αなのではないだろうか。

 

 これまで、神秘的体験で経験する悟り、ひらめき、気づきなどは、瞑想、断食、滝行、座禅…といった艱難辛苦の厳しい修行の果てにあった。しかし、100匹目のサルではないが、これからは、それらをスルーして、同様の経験が瞬時にできる若い人たちがどんどん増えてくると、私は予想する。

 なぜなら、厳しい修行をした人の話を聞いたり、その著作を読むことで、読者は同じ経験をしたことになる(と、桃楼おじいさんは、はっきり言っていた)からだ。初めて聞いたときはピンと来なかったが、今思えば、なんとなく分かる。修行をした人の痛みを感じるくらい完全に一体化・エンパシーして聞いた体験、例えば、身体に聖痕の痛みを感じるほど真剣に聖書を読んだ経験は、その人自身の経験値にそっくり加算される。

 少なくともこのサイトの読者、松居桃楼氏の知見をその文章の端々から汲み取られるであろう聡明なる読者は、デモンの呪い(迷信、先入観、まやかし、刷り込み、洗脳、自己欺瞞、おだて、忖度、「〇〇ファースト、エビデンスはない」といった人を思考停止にする呪文、etc.…)から解放され、フィロソフィア(愛智)の一人となり、世の中のからくりを直感的に見抜けるようになる。それが100人を超えたとき、まったく関係ない場所から、日本中、さらに世界中から、まるでひょっこりはんのように、101匹目のサル、フィロソフィアたちが次々と誕生する。

 ここから先は、わたくし(稲妻龍)の私見であるが……

――  彼らは、世の中の仕組みや、混乱の原因が、資本主義VS共産主義、大金持ちVS貧乏人、権力者VS被権力者ではなく、支配者VS被支配者でもなく(それはあくまで表面的なことであり、その土俵、表層へいったんクビを突っ込めば、時間浪費の無間地獄に陥り、永遠の雲の中の空中戦と人智を引きずり込むこれまでの不毛な視座、〈悪魔のわな〉にすぎ)……

 その本質は、汎知性VS反知性(パンソフィアVSパラノイド、ざっくり言えば、真理に向き合っているか、背を向けているか)であることを、すでに知っている。

 エッジの利いたナイフのような思考回路(笑)を持ち合わせた彼らは、世の中のウソをことごとく切り裂き、真価は何か、本質は何か、真実は何か、真理は何かを暴いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 ※

 

 私は、彼ら(あるいはあなた方といってもいい)、これから夥しく出現するであろう真理を愛する人々、フィロソフィアのことを、勝手な造語で「Evaluator(エバリュエータ=評価者、審判者、新たな価値を創出する者)」と呼んでいる。

 

 

                 ※                      

 

 

 「Evaluator(エバリュエータ=評価者、審判者、新たな価値を創出する者)」とは物事の真価を既成概念にとらわれずに直感で見抜くことのできる異才たちのことである。彼らは事象の本質を世間の常識や思い込みにとらわれずに人並み外れた驚異的な才能で見抜く、フィロソフィアの慧眼(言わば「神の眼」)を持つ進化の次世代人たち。


 終末という危機的状況が生み出した私生児か、人類進化の最終形態か、はたまた神々の驚くべき恩寵〈アメージング・グレース(Amazing Grace)〉か。姿かたちは私たちと寸分変わらないにもかかわらず、その憂いを帯びた瞳は人類の行く末を冷徹に予見し、あらぶる人々には悪魔を凌ぐ鉄槌を加え、虐げられた人々には神にも優る慈母の愛を注ぐ。


 彼らが世界を震撼させた最大の武器は、軍事力でも政治力でも、まして経済力でもない。彼らの持っている最大の力は、それこそがトルストイの言う、〈《新しい宗教》というよりも、これまでの人間の既成概念ではまったく想像もつかないような《ものの考え方》〉なのだ。


 混沌たる現代社会に突如現れた異才たちは価値観を喪失した人類に新たな物語を紡ぎ出し、それまで誰も想像し得なかった価値の地平、まだ見たこともない新世界の基軸、nouveau régime を提示する。

 『エバリュエータ』はわれわれの間に密かに息づき萌芽の時を待つ。最終戦争、それは真近に忍び寄る聖書に記された「最後の審判」の時である――の号砲ととともに、遥か悠久の時(※)を超え、それは出現する。

​                 ※トルストイの予言 13,14参照

 

 

 

 

                 

 

 

 

                                                   ※

 

 

 さて、調子に乗ってあまりいい加減なことを書いていると、また桃楼おじいさんに叱られそうなので、このへんで話を戻すが……

 桃楼おじいさんをひとことで言えばどんな人だったか――

そのこたえは……〈敬虔なひかり〉のような人であった。

​                

3826_ihD0mX_pTyMft.jpg!r550x0.jpg
istockphoto-108219664-612x612.jpg
istockphoto-1203363368-612x612.jpg
img058.jpg
istockphoto-810282344-612x612.jpg
img037-2.jpg
istockphoto-1283192159-612x612.jpg
d47048-85-503205-3.jpg
istockphoto-1203194302-612x612.jpg
47ac75b9.jpg
000000002577.jpg
001_edited.png
817pnlN8plL.jpg
202104jssi-2104jssi-jpp037106497_310.jpg
EUklAEk-1200_edited.png
81NYvZhPZ+L.jpg
200826-TR-091047.jpg
42390_01.jpg
42390_01main (1).jpg
a2_edited.png
42390_02.jpg
42390_04.jpg
42390_03.jpg
EZsyCcGUEAEII-7.jpg
rectangle_large_d9b367e5ea619d467cc1f1d8
7402488_articleimg_1.jpg
maxresdefault.jpg
rectangle_large_type_2_a4ec15a7bee4e6068
1453567_1200.jpg
bible-2989425.jpg
7402488_src_0.jpg
mqdefault.jpg
image-123_edited.png
a0be84c9f2c8b327e61db9234f96f79b_edited.
DyejcVPUUAAPH_N.jpg
img_f42cbade936b2d7affe34cf1683a33c43072
23023004837.jpg

​Prologue

eye-2040986_1920.jpg
eye-2771174_1920.jpg
eye-2926215_1920.jpg
eye-2040986_1920_edited.jpg
eye-5936592_1920.jpg
eye-2771183_1920.png

Mr. Hyokkorihan

EIYSR6RXsAAhajb_edited.jpg
unnamed_edited.jpg
haru_cl1.jpg
img025_edited_edited_edited_edited_edite
OIP.jpg
8d6bd48e7586ced82f3ad3227133b096.jpg
istockphoto-1208776447-612x612.jpg
istockphoto-1138469967-612x612.jpg
wp-1606080256015.jpg
9 (1).jpg
敬虔
istockphoto-898916122-612x612.jpg
ba379ed8f1d81ac0ef2865c41a1f1f05.png

はにゃ?

3826_ihD0mX_pTyMft.jpg!r550x0.jpg
bbb96548bb74fbc78330b46c52793b0d_edited.
光あれ

And God said, Let there be light: and there was light.

                   光あれ 

              Και εγένετο φως 

phoenix-1301889_1920_edited_edited.png
phoenix-1301889_1920_edited_edited_edited.png

​      Bring yourself
up to the brightest Zone

「敬虔」というひかり 

201901220071_ex_edited.jpg
istockphoto-1221068046-612x612_edited.pn

 ここでは、私のこよなく愛する、ある映画を通して「敬虔」というひかりについて別な角度から 描写 ディスクライブ してみたいと思う……

怖い映画の苦手な方は、ここはスキップしていただいて構わない。

 

 ホラー映画の金字塔、映画「エクソシスト」

 ――で脚本家ウィリアム・ピーター・ブラッティが、神と悪魔というふたつのメタファを通して浮かび上がらせようとしていた人間存在の本質。

 

  原作を読むと、彼のタ-ゲットは神がいるか、いないか、悪魔が実在するか、否か、そんな形而上学的議論はどうでもよくて、善を希求しながら平気で悪を成す矛盾の塊、この人間とは一体何なのか、その一点に

目を向けていたように思う。神と悪魔は、あくまで人間存在の

深淵に迫るためのダシに過ぎなかったのだと……。

 

  悪魔は人間の一番弱いところを突く。

 

 カラスの弱点は孤独のまま死なせてしまった母への後悔。 メリンの弱点は完璧な強さに潜むやさしさ。狡猾な悪魔パズズはこれを利用し、巧く二人を分離することに成功する。

  作品終盤、悪魔との壮絶な戦闘場面。 カラスが母の幻影を見せられ弱体化したことで戦闘不能と判断したメリンは、彼が戦場を離れることを許した。 この時点で勝負がついた。

 

 悪魔は決して協力し合わない。 だが、人間は力を合わせ、お互いに協力し合い、一人では成し得ないことを達成できる。それが、悪魔にできない人間の最大の武器なのだ。

 

  心臓が限界を超えたメリンは、悪魔との戦いで絶命する。

 狡猾なパズズが、なぜかここで一瞬、躊躇し油断する。

 宿敵メリンを打破った悪魔パズズは、リーガンの身体を通して不敵な笑みを浮かべる。

 

  将軍メリンを殺し、残ったのは雑兵カラスのみ。 抜け殻状態のカラスを一緒に殺してやろうか、あるいは悪霊を住まわせて操ってやろうか。


 だが、ここで、カラスの信仰が一挙に復活する。

 悪魔を憑依させたと同時に追払い、自身は窓から階段へ身を投じる。

 メリンの死がカラスの魂に〈デス・モード〉スイッチを入れたのだ。

リーガンを救うため、すべてを見切ったカラスは、最後のカードを切る。自らの意思で悪魔をわざと憑依させ、悪魔に身体を完全に支配される直前、制御が効かなくなる寸前、窓を突き破り、階段へ身を投じた……。

 

フリードキン監督の解説で引用された

「天と地との間には人間の哲学では及ばないものが存在する

​           シェークスピア『ハムレット』)」

 

  〈敬虔という目〉があれば見えるものを……。

 敬虔とはまだ見たことのないものを恐れずに受け入れること。

 

  無神論者のわたしが言うのもなんだが、形而下学的視点からしか世の中を見れなくなると、世界が薄っぺらくなり、柔軟性や寛容性が失われる。

 

  信仰を持てとまでは言わないが、敬虔さがもう少し人の心にあってもいいような気がする。

――近代人が置かれているコンテンポラリーな状況は、私たち自身が考えるよりずっと危険で脆弱で深刻なのかもしれない。人類の負の歴史的遺産ともいえる​21世紀にいまだ存在する全体主義や軍事独裁国家の動向、自由意思を奪われた国、組織、個人がいかに攻撃的に変貌し、利己的に変性するかを見て、戦禍のキナ臭さがにわかに立ち込めてきた

 そんな時代にだからこそ、私たちは〈敬虔という目〉で世の中を見つめ直し、必要のないもの、例えば、有象無象の輩、獣聚鳥散の組織、悪鬼羅刹のこだわり……といった世間の柵(しがらみ)をサッサと視界から排除し、普段見過ごしてきた大事なものに視点を極限までフォーカスすることで、〈トルストイの予言〉――人類撲滅戦争の前に、それを未然にくいとめる素晴しく大きな力が出現し、それは〈新らしい宗教〉というよりも、むしろ、これまでの人間の既成概念では、まったく想像もつかないような〈ものの考え方〉なのだ――という件(くだり)をなんとなくでいいから感じ取れる、イマジンできるところまで、感性・霊性を高めたい。

 逆に、そういった〈敬虔なる目〉を持つ人間たちが登場しなければ、人類はただ漫然と愚かな殺戮の歴史を繰り返すに違いない。

 無神論者のわたしが言うのもなんだが、形而下学的視点からしか世の中を見れない霊性の低い連中が2千年以上にわたって地上を跋扈してきた今、いい加減、形而上・下学的両視点からもの申すハイブリッド型天才たち、

イエス・キリスト並みのディプログラマー(洗脳解体者or既成の価値観の破壊者、稲妻龍は彼らをエバリュエータと呼ぶが)が、ひとりふたりとかケチなことを言わず、グロス単位でまとめて現れてもいい頃だ。

 

        

 

             閲覧注意

 

89ce49eb-4d3b-499a-a5e5-98013f9ca9f8-630
33300_849THA-1024x695.jpg
20181023194839.jpg
e0a7WeRoVPripUVt4P0DzIikvwDdHhigaf6l9arl
DLjGv-IV4AAVBID-630x354.jpg
c39adee63b94a634a2db8491ee361c5b.jpg
758f29dd1c52468e5265ca9dee562609 (1).web
The-Exorcist-Regan-and-Pazuzu-630x369.jp
o1080058714808219969_edited.jpg
Exorcist820140816.png
20180104153500.jpg
a0212807_21302572.jpg
今ここにいる

Past, present, future, I exist

         今 ここにいる 

  Παρελθόν, παρόν, μέλλον, υπάρχει   

Being born in this world.   Isn't it the biggest chance in itself?

 この世に生を受けたこと。それ自体が最大のチャンスではないか 

                   Ayrton Senna

1587117249-147175810.jpg
thumb_ayrton_senna-17.jpg
senna_Unfall_94_IMOLA1.jpg
18srt03f1-cf-cropped-73-375-1308-987-kVt
ダウンロード.jfif
10_7766.jpg
26169817_1.webp

わが内なるひかり 

2f92c51ce51a16d4efcf88f0b5c219a7_edited.
istockphoto-1210307067-612x612.jpg
istockphoto-1284403954-612x612.jpg
main.png
5238452_2x.png
unnamed (2).png
unnamed (1).png
o0600033813222070485.jpg
20200901215541-f6bcf7867159cc44c00fdcd33
51uh4yfdTYL._SL500_.jpg
harllow.jpg
Opit_Harloy.jpg
energydrink728_edited.png
depositphotos_2395145-stock-photo-pharma
asura_cocktail.png
asura_power2.png
WS000011.JPG
asura_img2.png
middle_1620206099.jpg
watermark_edited.png
watermark_edited.png
istockphoto-1141371364-612x612.jpg
2b7fe698cf03bbc36ff385ab2e06b607.gif
450-2010010521043335692_edited.png
ph_thumb_edited_edited.png
img028_edited_edited_edited.jpg
flower-3375258_1920_edited.png
flower-1775377_1280_edited.png
istockphoto-1145722750-612x612.jpg
istockphoto-94025691-612x612.jpg

​1990年初冬  水戸のご自宅にて                          撮影 稲妻 龍

flowers-5339352_1920.png
rose-2024458_1920.png
decor-2485081_1920.png
decor-2485081_1920_edited.png
decor-2485690_1920.png
33138646_edited.png
flowers-5339352_1920.png
light_PNG14407.png
unnamed (5)_edited.png
img028_edited_edited.jpg
decor-2485239_1920_edited.png
decor-2485239_1920_edited_edited.png
divider-4792864_1280_edited.png
decor-2485081_1920_edited.png
decor-2485081_1920.png

 

  米津玄師の名曲「Lemon」の「……今でもあなたは私の光」という歌詞 は、ご本人によれば、別れた恋人ではなく、実はこよなくご自身を慈しんでくれた、亡くなられたおじい様をイメージして作られたそうな。   

 「Lemon」のラストフレーズにあやかれば、松居桃楼は、私の中に今も燦然と輝く〈わが内なるひかり〉である……

 

――人生は無価値、学校は強制収容所、会社は蟹工船、結婚生活は罰ゲーム、子供が生まれて残念賞、人間なんか滅びればいい、人類は地球のガン、人間いつか死ぬのだから努力は無意味、自己犠牲なんてまっぴら御免、小さな親切 大きなお世話、 友達のともだちはみんな友達 じゃなくてアカの他人、いつも自分は五番目の車輪(役立たず)、右か左 迷って真っすぐに高く飛んだら骨折した、好きな言葉はムーミンに出てくるじゃこうねずみさんの「むだじゃ、むだじゃ」……

――荒(すさ)んだ心、ねじ曲がった根性、ささくれ立った感性、干からびて枯渇した魂、液体窒素で凍結保存された情熱、小学校の通知表の連絡欄に「稲妻君は世間を風刺して見る傾向がある」と先生に書かれてしまうほど、ガキの頃から人と距離をおく習性(病気で幼稚園に行けなかったというハーロウの隔離ザル実験のような幼少期の背景があるにしても)、running on empty(孤独なランナー)、すり減ったキャラクター、根無し草のような日々……

 

――を過ごしていた私がエンカウンターした「未知との遭遇」、広大無辺な緑のオアシス、乾いた喉を潤す〈真理への愛〉という無尽蔵の水、空腹を癒す〈智慧〉という無限の糧(かて)、死にかけた情熱を揺さぶり起こす地響きのように強烈な〈自由意思〉という波動、永遠の生命を守るケルビムの碧く静かに輝く(ひかり)……

​ 心身がどれほど疲弊しようとも、その存在がどの栄養ドリンクよりも効くモンスター・エナジードリンク(しかもノンカフェイン、カロリーオフ、ドーピング検査フリー)……

 

   世の中がどれほど混乱しようとも、その言葉(ロゴス)が、不安という幻想を撃退し、心に安らぎ、静穏、慈悲、寛容を与える究極の精神安定剤(しかも副作用ゼロ、ドーピング検査フリー)……

――それが松居桃楼である。

                ※

​                

          ASURA アスラ 

 カフェイン無添加のエナジードリンク誕生 (asura-energy.jp)

      試合開始直前に飲んでもだいじょうぶ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一人忘れてはならないのは、松居桃楼氏の常人には理解しがたい煌(きら)めく雲上の言葉の数々を、理解し、記録し、咀嚼し、万人が読める著作へと変容(Transform)させた田所静枝女史である。

 自分のことをドン・キホーテに寄り添うサンチョパンサと表現したが、ご自身がまだ学生時代のお若きし頃に予感された聖なるものの原型(Proto-type)を求めて一直線、勇猛果敢に突き進む姿は、私から見れば田所静枝さんこそがドン・キホーテであり、天竺めざして邁進する三蔵法師そのものであるとしか思えない。真理への愛情・情熱は計り知れず、厳格・厳正なご性格であるにもかかわらず、桃楼おじいさん同様、私たちには終始なごやかな笑顔で接してくださったことを想うと、ほんとうに頭が下がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 めったに本音を語ることのない松居桃楼氏の言葉を録音し続け、整理し、文字を起こし、編集し、本という形にした作業はどれほど大変なご苦労だったか。松居桃楼氏の死後に見せていただいた、箱に入った録音テープは厖大な量に及んでいた。

 その録音テープは、現在、田所静枝さんの弟様の手に渡り、弟様に学ぶ学生たちが仕分け作業をしていると漏れ伝え聞くところである。

 

               

               ※

 田所静枝さんの存在なくして、松居桃楼氏の「黙示録の秘密」、「消えたイスラエル十部族の謎」に書かれてある内容(Contents)が本という形になって私たちの目の前に現れることはなかった。

 あの日、向こうみずな私の電話に出ていただかなければ、私たちが出会うことはなく、この「パンソフィア総合研究所(原題:桃楼おじいさんの大冒険)」という拙(つたな)いサイトが立ち上がることも、永遠になかった。

 

 

 

                ※

 松居桃楼氏の放つ〈永遠の生命へ導く碧く静かに輝くケルビムの〉、 田所静枝女史の放つ〈真理への長く曲がりくねった道を明るく一直線に照らす橘色の一閃の〉、​この両者が蟻の街で邂逅し、想い描いた未来、トルストイ流にいえば「神の王国」を、私たちは今この瞬間にもおふたりに思いを馳せることで、同調、Synchronicity、再現、イマジン、追体験できる。

――なんと豊潤、 ecstasy、贅沢、幸せなことか。

 

 

​                ※

 

 

 ここまでこのサイトを一気に(or根気強く?)読んでこられたあなたは、既に〈フィロソフィアの慧眼を持つ進化の次世代人〉のひとりに違いない。これからは、ものごとの真価を、既成概念にとらわれずに瞬時に直感で見抜き、様々な困難課題難なくクリアし、新たな価値(より正確にいえば本来あるべき価値、いにしえの時代より人類が連綿と希求してきた普遍的な価値、 The universal value that humankind has sought after since ancient times)を創造していくだろう。

 

 寛容で柔軟なものの考え方、お互いを理解し助け合う優しい心、Diversity(多様)であることを喜び尊重するセンス、相手の傷みを思い遣るEmpathy(共感)力、それら豊かな感性を共有することがあたりまえの日常となる世界への導き手―― となり、様々なクリエイティブな活動を通して、時代を牽引していかれる。

 

 ジョン・レノンがイマジンで歌った「も所有せずにみんながただ平和に生きている、まるで家族のように……誰かが欲張ったりさえしなければ誰も飢えたりすることもない、殺す理由もなく死ぬ理由もない」

 あるいはDa-iCECITRUSで歌った「上も下も無い世界で包み込んで…無作為に伸びている雑草も自由を摑んでいる それぞれの未来が咲き誇る」

 そんなクールな未来社会のビジョンを、やがて実体化する。

  人類史上最大のゲーム、難易度マックス(=機能快マックス)の 

The Greatest Game Ecstasy Max Real が、ついに今、始まろうとしている。(あっ、スイマセン、今までのはチュートリアル、本番はこれからなんです(;^_^A))

 そして、その主人公はあなただ。

スタートボタンを押すか、押さないかは、あなた次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「今を精いっぱい生きよう、毎日せっせと微笑みの種をまこう」

 星になられた今でも遥か宇宙の彼方から小さな声で、力強くささやきかけてくれいるに違いない・・・・・・

 そんなお二人がいた世の中なら、もう少し生きていてもよい、生きていたい、そんなふうにあなたも感じて頂けたのなら、幸いである。

 松居桃楼氏の言葉・思想・大法螺を余すことなく、次世代のあなたへバトンタッチできたとすれば、思い残すことはない。

 なぜならば、それこそが、本サイトの願い、祈りだからである。

               

 

 

 ああっ、調子に乗って余計なことを書きすぎた―― 桃楼おじいさんに、

あの世で再会したとき、きっとまた叱られるに違いない……

​「まだまだ、勉強が足りませんな……」

 Life is too ephemeral and short to talk about eternity.    But for those who once touched the dragon's tail,

 called "eternity", it wouldn't be a big deal.  Because    the moment he touches eternity, he becomes part of it.

  永遠(の生命や神……)を語るには、人生はあまりに儚く短い。

  しかし、一旦「永遠」という龍の尻尾に触れた者にとって、

 それは大した問題ではなくなる。なぜなら、それに触れた瞬間

  彼自身もまた永遠の一部​だったことを思い出すからである                          

                       稲妻 龍

rose-2024451_1920.png
rose-2024451_1920_edited.png
thank-you-flowers-gif-animation.gif
thank-you-flowers-gif-animation.gif
わが内なる光
istockphoto-640977872-612x612.jpg
owl-3254424.png
fantasy-4257828.jpg
earth-3382516.jpg
img032_edited_edited_edited_edited.png
images%20(13)_edited.png
unnamed%2520(1)_edited_edited.png

……You still haven't studied enough, right? 

blue-4781834_1920_edited.png

G-Game-Max

 Real

phoenix-1301889_1920_edited_edited.png
phoenix-1301889_1920_edited_edited_edite

The Greatest Game Maximum Ecstasy

ba379ed8f1d81ac0ef2865c41a1f1f05.png


  優しい愛を
​  ありがとう

 The real game is    about to begin !

istockphoto-635845098-612x612_edited_edi
istockphoto-181958419-612x612_edited.png
phoenix-1301889_1920_edited.png
phoenix-1301889_1920_edited_edited.png
blue-4781834_1920_edited_edited.png
fantasy-4262314_edited.png
51O5qiM3F8L_edited.png

    I will be with you, always. 

astronaut-1840936_1920_edited.jpg
img025_edited_edited_edited_edited_edite

 Are you all set?

tCep4a0dXjXkdOrB2bwIFJQS9fx2j76uCOu9JgOU
img025_edited_edited_edited_edited_edite

The greatest days begin!

※ 最後までご覧いただきありがとうございました。

当サイト訪問者様からの寄付・収益はすべて継承者様へ渡されます。松居桃楼氏に関する権利は著作権継承者様にあります。

 今後、松居桃楼氏の著作が英語・中国語等で電子書籍化され、世界中で販売された場合の収益等に関しましても、同様です。

bottom of page