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Introductory Demonology

Tolstoy's Prophecy

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トルストイの予言

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桃楼お爺さんの大ボラ説法

松居桃楼

Tolstoy's Prophecy

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編集 稲妻龍

「悪魔学(デモノロジー)入門」より

■人類はなぜ戦争を繰り返すのか?

  汎知性(パン・ソフィア) VS 反知性(パラノイド)

● 最終戦争直前に出現する【 別なもの】とは!
● 人類に残された最後の希望【 Sophe とは!

幻の共同体「蟻の街」の主催者、思想家 松居桃楼
  元祖ファクトフルネス・マインドフルネス・聖書暗号解読・ワンネス……
​ 父 松翁から語り継がれた
トルストイの予言を世界初公開

松居松 翁

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Introductory Demonology

トルストイの予言

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Tolstoy's Prophecy

​悪魔学(デモノロジイ)入門より

目   次 

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トルストイの予言

​        1 極東から救世主が現れる

 

 私(松居桃楼が、はじめて〈トルストイの予言〉の話を、父(松居松翁)から聞かされたのは、第一次世界大戦が終ってまもなく(一九一八年・大正七年)で、まだ小学生になったばかりのころだった。
 父は、そのことを、一九一五年(大正四年)にロンドンで発行されたある科学雑誌で読んだのだが、実は、それがまた、一九一三年二月二三日づけのボストン・グローブというアメリカの新聞に掲載された記事の孫びきだったらしい。
 しかも、その記事が報ずるところによると、問題の〈予言〉を、ロシアの大文豪トルストイが口述したのは、さらに五年前の一九一〇年(明治四三年)だったという。
 それにしても「その記事そのものが、どこまで信用できるか」という点では、いまだに私は深い疑いをいだき続けている。にもかかわらず、あれから七〇年以上たったというのに、なぜかこの〈予言〉の話が、いつも私の脳裏を離れないのである。

              

 


                  ◇

 

 

 

 トルストイの予言〉の発端は、ある日、ドイツとイギリスの皇帝が、「これから先の世界はどうなるだろうか? どこかに偉大な予言者はいないか?」と語りあったことからはじまる。そして結局「ロシアのトルストイの意見を聞こう」ということになった。そこで両皇帝は、早速そのことをロシア皇帝に依頼する。 
 そのころトルストイは、世の行く末を心から憂えながら、ヤースナヤ・ボリヤーナの私邸に閉じこもって、悶々と暮していた。そこへ、彼の親戚にあたる伯爵夫人が、元皇帝の大きな期待をになって訪ねて来る。トルストイは、しばらく眼をつぶって、ためらっていたが、やがて静かに、こう語りはじめたという。

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ドイツ皇帝 ヴィルヘルム2世

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イギリス国王 エドワード7世

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ロシア文豪 レフ・トルストイ

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​       

 

 

 

       私は、このごろ、くりかえし同じ白昼夢を見る。

      だが、おそらく誰も信じまいと思って黙っていた。 

      しかし三人の皇帝のおたずねに対して、まさにあつ

      らえむきなのでお答えしよう。


      …今でも、こうやって目をつぶると、一人の美しい

      裸体の魔女の姿が、ありありと浮んでくる。それは、

      重商主義マーカンテリズムとよばれる魔女で、髪に

      は宝石の飾りを一杯につけ、左右におのおの三本ず

      つ、合計六本の腕があって、その片方の三本の手に

      は、それぞれ一本ずつ炬火(たいまつ)をにぎって

      いる。
 

       その魔女は、第一の炬火で、もっぱら政治家や軍

      人の心に〈戦争の火〉をつけて歩く。次に二本目の

      炬火は、主として宗教家(それに学者や教育者や各

      種の文化人たち)の心に火をつける。すると彼らは、

      名誉や利欲に迷いはじめて、真理が把握できなくな

      る。最後の三本目の炬火の火は、一般家庭の夫婦、

      親子、兄弟たちの心につけられる。その結果、人間

      同士の愛情などというものは、まったく吹き飛んで

      しまう…
       

       ところで、世の中の情勢が、ここまで混乱しきっ

      たら、それは最終的な人類撲滅戦争の前夜だと思っ

      ていいのだが、その直前に、それを未然にくいとめ

      る素晴しく大きな力が出現する。それは〈新らしい

      宗教〉というよりも、むしろ、これまでの人間の既

      成概念では、まったく想像もつかないような〈もの

      の考え方〉なのだ。


       では、その内容は、どんなものか? それは、私

      には言えない。しかし、これだけは断言できる…」

      と、トルストイは声を強めた。

    
      「この世の終りともいうべき最悪の危機から、全人

      類を救い出して、万人が永遠の平和を躯歌できるよ

      うにする救世主は、今年(一九一○年)すでに、こ

      の地球上に生れている。その人は、スラブ族か、あ

      るいはモンゴール族で、その場所は、アジアの東の

      はてだ。しかし、彼自身は、まだ、自分がそういう

      重大な使命を担っていることを自覚していない。

 

 

 

 

 

 

 トルストイは、この〈予言〉をしてから間もなく、すなわち一九一○年の一○月二八日の夜、家出をした。彼が命がけでつらぬきたかった理想と、彼をとりまく家族たちの現実的な考え方との間の大きな軋轢(あつれき)に、たえきれなくなったためである。そして、それから、わずか数日後の一一 月七日、アスタポヴォという小さな駅の駅長室で、一介の行路病者として死んだ。その時、彼は八二歳。キリスト教会では、彼を背教者とみなして葬式をすることさえも許さなかった。

 ところで、トルストイは本当に、こんな〈予言〉をしたのだろうか? もし、かりに事実だとしたら、人類滅亡の土壇場に、突然姿を現す救世主とは、一体どんな人物だろうか? アジアの東のはてで、モンゴール族といえば、日本人である可能性も多分にある。
 私が、この〈予言〉に、限りない魅力を感じる最大の所以(ゆえん)は、ここにあるのだ。

               

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レフ・トルストイの屋敷

ヤースナヤ・ポリャーナ駅

ヤースナヤ・ポリャーナ私邸

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            2   世の終わりはいつ来るか?

 

 そもそもトルストイが〈予言〉をしたというのは事実だろうか? もし誰かがトルストイの名をかりて、そんな悪戯(いたずら)をしたとすれば、一体何者が、なんのために、そんなことを企んだのか? いや、問題はそれだけではない。
 いわゆる〈トルストイの予言〉なるものが、二○世紀初頭に起った数々の大動乱や、その後もとめどなく悪化を続ける一方の全人類的破局の様相を、不気味なほど的確に言いあてているのは何故だろうか?
 未来を明らかに察知できるESP(超感覚的知覚)などというものが、本当にあるのだろうか? ひょっとしたら、世界の政治や経済を裏面から操る巨大な組織の存在をつきとめた人物が、故意に〈予言〉と偽って、その秘密を外部に暴露しようとしたのではあるまいか? 考えれば考えるほど、疑惑が深まるばかりである。


                                                  ◇


 それにしても、例の〈予言〉では「魔女が手にする第一の炬火(戦争の火)は、一九一二年(大正元年)ごろから燃えはじまり、一九一三年(大正二年)には、全ヨ-ロッパが炎と血で満たされ、あげくのはてに、国々の皇帝たちが次々と位からおろされる羽目になる」と告げている

                                                    ◇

 

 しかし、正確に言えば、第一次世界大戦が勃発したのは一九一四年(大正三年)の夏だった。ところが、その一九一四年からか人類史上最悪の事件が矢つぎばやに起るという警告を、すでに一八八○年から公表していた、ある聖書研究のグループがあった。
 奇妙なことに彼らは、それまで約一○年にわたって「聖書の中で予言されている〈世の終り〉がいつ来るか」という問題の研究に没頭していたのである。そして「一九一四年から世の終りの兆(きざし)が始まる」という結論に達したのが一八八○年だった。
 では、その〈世の終り〉とは、一体なんなのだろうか?


                                                    ◇
 

 ユダヤ民族の間に、この思想が芽ばえはじめたのは、紀元前五八六年に、ユダヤ王国がバビロニア帝国によって滅されて、主だった人々がバビロンに連れてゆかれた、世にいう〈バビロン捕囚〉以後のことらしい(多分それは、その当時、古代ペルシアで流行していたゾロアスター教の影響によるものだろう)
 要するに「神は、敬虔な信者たちを、より鍛練するために、ある一定の期間、この世界を悪魔の支配にゆだねる。だが、やがて予定された時が来ると、メシア(救世主)が現れ、悪魔を退治して、再びこの世は神の王国となる」というわけである。
 さて、それならば、そのメシアは何時現れるのか? 聖書に書かれている言葉を、どう解釈するかによって、無限に異った答えが出てくることになる。
 そのために、バビロン捕囚以降、現代にいたるまでの二五○○年あまりの間に、何百何千という有名無名の予言者が、入れかわり立ちかわり現れて、「その時は今だ」と繰りかえし叫び続けてきたのである。


                                                     ◇

 実はイエスの死後、ほんの僅(わず)かの期間中に、いわゆるキリスト教が、燎原(りょうげん)の火の如く、ロ-マ帝国の領土全域にわたって広まったのも、パウロが「十字架にかけられたイエスこそ救世主(キリスト)だったのだ。彼は間もなく、神の王国を建設するために、もう一度天国から、この地上に帰ってくる。その時、キリスト信者だけに永遠の生命がさずけられ、信じない者は地獄におとされる」と、熱烈に伝道して廻ったからだった。
 したがって、その後二○○○年もの長い間、そのキリスト教の感化を強く受け続けてきた欧米人のものの考え方が、とかく善悪をきわどく対立させる終末論的なパターンに偏りやすいのは当然のことだが、宗教とはことさら縁が遠いはずのマルクス主義でさえも、資本家を悪魔、労働者を〈神に選ばれた人々〉、そして革命の指導者たちを救世主におきかえてみると、その論理の進め方が、あまりにも終末論のそれと似かよっているのに驚かざるをえない。
 おそらく一八七一年のパリコンミューンの時でも、一九一七年のロシア革命の時でも、群集の先頭にたって突き進んだ革命家たちの心の奥には「いよいよ世の終りが来た」という、先祖伝来の信仰のようなものが渦巻いていたことだろう。
 しかも、ちょうどそのパリコンミューンの出現が、全ヨーロッパを震撼させていたころ、大西洋の彼方のアメリカの一隅でも、前述のように「世の終りは何時か?」ということを模索し続けた末に、「それは一九一四年だ」という結論に達した人々がいたのである。

                                                                                                 

               

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            3  あらゆる権威を否定する人々 

 「人間はどう生きるべきか?」と欧米人が真剣に考える時、ほとんど例外なしに、いわゆる終末論が心底から頭をもたげてくるであろうことは、否定できない事実である。
 そのくせヨーロッパの歴史をふりかえってみると、意外にも、終末論者なるものの大部分が、常に異端者として、厳しく迫害されているのには、驚かざるをえない。
 一体なぜそんな矛盾がおこるのかというと、聖書に説かれている終末に関する教義を、シリアスに突きつめてゆくと、まさしく現世は悪魔が支配していることになり、その悪魔の世界で権勢をふるっている人間は、すべて悪魔か、その手先だという結論に到達する。
 ところが、現実に富や権力を握っている上層階級の人々にとって、これこそ最も恐るべき危険思想なのである。ことに、それが宗教的な権威までも否定するものである場合には、容赦なく異端者として破門し、火あぶりにする以外に、自己防衛の方法が考えられなかった。
                 ◇ 


 しかし、その後、例のフランス革命を境として、それまでの国王や貴族や宗教家の独裁的な権力が、いちじるしく弱まったために、キリストの再臨や、神の王国の到来に対する民衆の期待が、爆発的にたかまりはじめた。
 ことに、ヨーロッパの因襲的な権威主義の影響を受けることが少なかったアメリカ合衆国においては、「世の終わりが近い」と叫ぶ〈予言者〉が、めったやたらに現われた。

 そのあげく、「一八四四年一○月二二日で、この世は終わる」という予言を深く信じた何万という善男善女が、白衣に着かえて、ひたすら天国へ昇る準備をするという騒動まで発生した。ただし、二三日の朝になっても、世の中には何の変化もおこらなかった。
 人々は、がっかりして、散りぢりになって行った。にもかかわらず、ごく少数の熱烈な終末論信奉者たちは、「これは、われわれの誠意がたりなかったせいだ」と反省して、ますます聖書の研究に励むようになった。
 今日、日本でも、しばしばその名を耳にする〈もの見の塔〉(あるいは〈エホバの証人〉など)とよばれるグループも、その時代に生まれた数多い聖書研究会の中の一つで、じつは彼らこそ「一九一四年から世の終わりのしるしが始る」と、みごとに第一次世界大戦の勃発を言いあてた、今世紀における特筆すべき予言のチャンピオンだったのである。
 彼らは、ルカ伝二一章二四節の「エルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられるであろう」というイエスの言葉を鍵として、その「時期」とは、紀元前六○七年にはじまって紀元一九一四年に終わる――という新奇な〈暗号解読〉をやったわけだ。
 もっとも、この種の謎とき遊び自体に批判的な人は少なくないだろう。だからといって、一笑にふすわけにゆかないのは、彼らが、聖書を徹底的に探究した末に、「既往のキリスト教会は悪魔に迷わされている」と思わざるをえなくなり、さらに「国家という組織は悪魔が操っているのだから、国旗に敬礼したり、軍務についてはいけない」という確信をいだくようになった顛末である。それにしても、なぜ今ここで、そんなことを、ことさら問題にするのかというと、彼らの主義主張が、トルストイその人の思想と、じつによく似ているからだ。


                 ◇


 では、トルストイは〈もの見の塔〉の〈予言〉を意識していたのだろうか? おそらく彼は、当時アメリカにそんなグループが存在していたことさえも知らなかっただろう。
 だが、そのこととは別に、トルストイが、トウホボール教徒という、兵役を拒否するばかりでなく、聖書の権威さえも認めないという、世にも風変わりなロシア農民の宗派を、積極的に支持した話は、あまりにも有名である。
 彼らは、トルストイの庇護のもとに、ロシア政府の迫害の手をのがれて、カナダに移住することになった。そして、その子孫たち(約二万人)は現在も彼の地に居留している。しかし、その一部に〈自由の子〉と称する狂信的な集団があって、時々素っ裸で町を練り歩いたり、自他の区別なく家財を焼き払ったりして、いまだにカナダ政府を手こずらせているらしい――要するに、「あらゆる権威を悪魔の権化とみなして否定する」――それが彼らの根本的な信条なのである。


                  

                  ◇


 

 

 こうしてみると、例の〈トルストイの予言〉が、二○世紀の前半に起こった顕著な大事件の数々を、的確に言いあてているということよりも、それらのすべての事件の背後に、〈重商主義(マーカンテリズム)〉という魔女がいて、人々の心を眩惑する――と警告している点にこそ、とくに注目する必要がありそうだ。とは言え、トルストイは、悪魔などというものを、本当に信じていたのだろうか?
 ここでまた好奇心をかりたてられるのは、トルストイが、〈予言〉したといわれる一九一○年からさかのぼること七年。つまり一九○三年に、Znemia(旗じるし)というロシアの新聞を通じて、「世界を混乱させる悪魔的陰謀を計画している秘密結社が、この世に実在する」という情報が伝えられ、引き続いて一九○五年に、その記事が単行本として出版されると、たちどころにヨ-ロッパ全土の評判となって、ドイツ語、フランス語、英語に翻訳された――という奇怪な出来事である。
                

               *松居桃楼著『黙示録の秘密』小社刊ご参照

                                                                                                 

             

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            4   世界征服を狙う怪文書

 

 今日のテレビ番組や新聞の紙面で、一番幅をきかせているのは芸能とスポーツであり、出版界を制圧しているのが漫画であることに、異論を唱える人はおそらくないだろう。
 ところが今からちょうど九○年前(一八九七年・明治三○年)に、「人類全体の思考力の水準を低下させるために、いわゆるマスコミの内容や形式を、もっぱらそういう方向へ誘導しよう」と陰謀を企てた秘密結社があった――と聞いても、「まさか……」と一笑に付してしまう人が多いのではあるまいか。
 もっとも、「そういう秘密結社が実在した」と断定するのは、いささか早計であって、正しくは、「そういう秘密結社が存在するlというデマを流布した連中があった」と、言うべきかもしれない。では一体、何の必要があって、誰が、そんな作り話をでっちあげたのか?


                 ◇


 「フランス革命(一七八九~一七九九年)を前触れとして到来した〈十九世紀〉は、ユダヤ人の権利が、政治的にも経済的にも社会的にも、凄じい勢いで拡大された時代だった。しかし、その反面、今までよりも一層ユダヤ人に敵意を示すようになったヨ-ロッパ人も少くなかった。なかんずく、とりわけてユダヤ人迫害に狂奔したのがロシア人だった。
 なぜかと言うと、十九世紀末のロシアには、あの (一九一七年の)大革命の前兆ともいうべき農民の反乱が、頻繁におこりつつあった。そこで、皇帝をはじめとする有力者(貴族、宗教家、地主、高官、富豪たち)は、「ユダヤ人こそ、ロシアにとっての、あらゆる災厄のもとだ」という偏見を、国民の心に植えつけようと策動したのである。(たとえば、反ユダヤ思想を扇動する出版物に対して、皇帝自身が巨額の助成金を支出したといわれている)
 その結果、ユダヤ人を中傷し誹謗する文献が、続々と現われることになった。しかも、その中で、特に全ヨーロッパに強い衝撃を与えたのが、「シオンの博学な長老たちによる議定書」と題された怪文書だった。それは、ユダヤ人の世界征服計画が二四項目にわけて、明細にのべられているものだが、そこには、最初に紹介したような「芸能やスポーツやクイズなどの記事で新聞の紙面をうめよう」とか「非ユダヤ人のすべてを、絵を見なければ何も理解できないような動物にしてしまおう」というような不気味な言葉がポンポンと飛び出してくるのである。
 その他にも「非ユダヤ人の経済力を喪失させるために、徹底的に賛沢を奨励する」とか「賃銀を引き上げると同時に生活必需品の価格もつりあげて、労働者には何の得にもならないようにする」とか「非ユダヤ人の間に、個人的、国家的、民族的、宗教的な対立や憎悪をつのらせる」とか……要するに、従来の国々の政治や文化や経済を崩壊させて、最後にユダヤ人が全世界を制圧するに至るまでの筋書が、念入りに練りあげられてあるわけだ。


                 ◇ 


 それにしても、なぜこの怪文書の題名が「シオンの博学な長老たちによる議定書」となっているかというと、一八九七年に、ユダヤ人の有志が、スイスのバーゼルに集って、「パレスチナホームにユダヤ民族のための合法的な〈郷土(ホーム)〉を創設しよう」という決議をした。
 ところで、ユダヤ人は昔から故郷のイエルサレムのことを、その東側にあるシオンの丘にちなんで、〈シオン〉と呼んで懐しがっているところから、このパレスティナに復帰する運動をシオニズムと名付け、その運動家たちをシオニストと称するようになった。
 つまり、そういういきさつから「問題の怪文書は、そのシオニストたち(すなわちシオンの博学な長老たち)が、一八九七年に、スイスのバーゼルで共同謀議を行った際に、ひそかに作成したものだ」という触れこみで、ロシアの新聞が、その内容の概略を書きたてたのが一九○三年。そして二年後には、その全文が出版され、やがて全ヨ-ロッパに宣伝されることになったわけだ。
 しかし、当然のことながら、ユダヤ人側では、終始一貫それを否定し続けた。そればかりでなく、一九二一年に、ロンドン・タイムズのコンスタンティノープル(今日のイスタンブール)の通信員が、この怪文書の種本とおぼしきものを発見したのを手始めに、その後さらに詳しい調査が進められて、今世紀の半ばごろには、「シオンの議定書は、帝政ロシアの秘密警察が捏造したものだ」という最終的な決断がくだされるにいたった。
 しかし、それで「めでたく一件落着」というわけにはゆかない。なぜならば、かりにシオンの議定書を捏造したのが帝政ロシアの秘密警察だったとしても、その帝政ロシアが跡形もなく絶滅してしまってから以後も引き続いて、問題の怪文書の中でもくろまれている計画の大部分が、着々として、恐ろしいほど見事な成果を挙げつつあるという事実は、なんとも不思議千万の話だからだ。
 ことによったら、〈トルストイの予言〉の筆者は、その黒幕を見破ったうえで、それを〈炬火をかざした魔女〉に擬(なぞら)えて、ほのめかそうとしたのではあるまいか? 問題は、ますます複雑怪奇になってくるのである。

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          5  二五○年前からの軍縮論


 最近、INF(中距離核戦力)を地球的規模で廃絶することを、米ソ両国が合意した。「これこそ第二次大戦後初めての軍縮への第一歩だ」と、国際問題の専門家たちは、口をそろえて称えている。だからといって、「もうこれで第三次世界大戦の心配はなくなった」と、手放しで楽観するわけにはゆかない。
 それどころか私には、目下の世界の状況と、今から八八年前にオランダのハーグで開かれた、いわゆる万国平和会議なるものの成りゆきとの間に、どこか似かようものが感じられて、なんとなく薄気味悪いのである。

 問題の平和会議は、一八九九年にロシア皇帝ニコライ二世の発起によって、アメリカ合衆国を含めた世界二六ヵ国が集って催されたのだが、その目的は、「真の恒久平和を樹立すること。そのためには、まず、現存兵力をこれ以上増強しないこと。特種兵器を制限すること」などだった。
 結局、主眼の軍備縮少案はまとまらなかったが、空中の気球からの爆撃と、毒ガスや散弾銃の使用が禁止されただけでなく、「国際間の紛争を平和的に解決するための仲裁裁判所をハーグに常置しよう」という申し合せが成立した。

 そのうえ、八年後の一九○七年には、第二回目の平和会議が、同じくロシア皇帝によって召集され、今回は特にアメリカ合衆国の大統領セオドア・ルーズヴェルト(日露戦争の調停やパナマ運河開通に尽力した人物)がイニシアチブをとることになったが、あい変らず軍縮はできなかった。そのかわり、「強制的な仲裁裁判所を設立するための仮条約を起草する」という点で、集った四四ヵ国の合意が成立して、さらに八年後の一九一五年に、第三回目の平和会議を開催する予定だったが、その前年の一九一四年に第一次世界大戦が勃発して、すべてが水泡に帰してしまった。


                  ◇


 

 こういう風にのべてくると、その当時の国々の首脳たちが、いかにも戦争を回避することに懸命だったかの如くに思えるが、種をあかせば、狐や狸のばかしあいで、なんとかして、よその国の軍備を抑制する一方、自分の国の兵力は増強しようと苦心惨憺していたにすぎなかったのだ。

 では、当事のヨーロッパの有識者たちは、そのころの時局を、どう感じていたのだろうか?
 トルストイが、一八九一年から書きはじめて九三年に完了した〈神の王国は汝らのうちにあり〉には、一八九○年代初頭のヨ-ロッパ各国の有識者たちの、戦争を憂慮する言葉が、あきれるほど克明に数限りなく集録されているが、その中の一節から、〈E・G・モネの所説〉なるものを抜粋してみよう。

 

 

 

    国民にとって苦痛な軍備に対する抗議は、なにも現代⦅ここでは

   一九世紀末のこと⦆から始まったわけではない。モンテスキュー

   ⦅一八世紀のフランスの啓蒙思想家⦆が、当時書いたものに耳を貸

   してみたまえ。


      『フランスは(今ならヨーロッパと置きかえてもよい)

     ⦅という註をつけたのはモネか? それともトルストイか?

     二○世紀のわれわれは「今なら全世界は」と置きかえたいと

     ころである⦆軍人のために滅びるであろう(中略)なぜなら、

     一国がその軍隊を増強すると、たちまちにして、他国も同じ

     ように、それを行うからである。これでは結局、全体の滅亡

     以外なんら得るところはない(下略)』


    これは約一五○年前に書かれている。⦅もちろんそれは一九世

   紀末からの計算で、現代からは二五○年前の話⦆…が、その情景

   は、現代⦅一九世紀末⦆を描いてるかのようだ(中略)各国政府

   の首脳は、「自分らは、すべて平和を欲しているのだ」と断言し、

   「誰がもっとも立派な平和愛好の宣言をするか」という競争が、

   彼らの間で行なわれている。しかし、同じその日、あるいは次の

   日には、彼らは立法会議で軍備拡張案を出し、「かかる予防策を

   採るのは、平和を保証するためにほかならない」と言っている

   (下略)    (河出書房新社 トルストイ全集15 中村融訳)


 この文章をなんど読みかえしても、私は、そのつど自分が今、二○世紀末の現代に生きているのか、それとも百年前の一九世紀にタイムスリップしたのか、あるいは、さらに一五○年前のルイ十五世の時代の人間になったのか、さっぱり区別がつかなくなるのである。


                   ◇


 

 それにしても、モンテスキューの時代から二五○年も経過した今なお、世界中のジャーナリストが、新聞、ラジオ、テレビ、雑誌など通じて、朝に晩に、核軍備反対を唱え、戦争反対を唱え、平和運動家たちが、ひっきりなしに集会をひらき、宗教家が平和祈願の行事を催し、学生たちや一般庶民(ことに多くの女性)たちが、プラカードをかかげて街を練り廻っても、刻々と、地球上の全域に、怒涛の如く氾濫してゆく爆撃機や戦車や核兵器の洪水を、くいとめられないのはなぜだろうか?
 トルストイは、今から百年も前に、「そんな姑息なことで、絶対に戦争は防止できない」と、はっきり予言している。では一体どうしたら、恒久平和の神の王国を招来することができるのだろうか?

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            6     わが〈蟻の兄弟たち〉

 

 文豪レフ・トルストイには、ひとりの妹と三人の兄があった。なかでも長兄のニコライは、レフより五つ年上だったが、すばらしくユーモラスな少年だったらしい。
 彼は一○歳の時に(つまりトルストイがやっと五歳になったばかりのころに)、〈蟻の兄弟たち〉という風変りな遊びを、弟たちに伝授した。それは、大きな布で覆った二脚の肘掛け椅子の下に、みんなで身をよせあって坐って、「今後決して喧嘩をしない。お互いに末長く愛しあおう」と誓いをたてるという、やや神秘(オカルト)的な宗教儀式のまねごとだった。
 ニコライが弟たちに語ったところによると、この〈蟻の兄弟たち〉という秘密結社は、この世の中から一切の憎しみや、悲しみや、病気や、貧しさや、戦争さえもなくすために身を捧げる人々の集りなのだが、では、どうしたら全人類を幸福にすることができるかという秘訣は、一本の魔法の杖に書きとめてあって、それは、ある神聖な森の奥に埋められてあるということだった。
 もちろん、大人になってからのトルストイは、九分九厘それはニコライの口から出まかせの冗談にすぎないと思いこんでいた。ところが意外にも、ある時、彼は幼年時代に聞いた〈蟻の兄弟たち〉の物語が、兄の作り話ではなかったことを知って唖然としたのである。(トルストイは、その年月日をはっきりさせていないが、多分それは、彼自身のそれまでの軽薄で空しい生活を、手厳しく自己批判し始めた四○代をなかば過ぎたころのことだろうと、私は推測している)
 ただし正確にいうと、それは〈蟻(ムラヴェイ)の兄弟たち〉ではなくて、チェコスロヴァキアの中央部にあるモラヴィア地方に因(ちな)んで名づけられた、〈モラヴィアの兄弟たち〉という宗教団体だった。
 では、その〈モラヴィアの兄弟たち〉とは、どういう宗派か? ということを知るためには、一応、中世紀のヨーロッパを狂瀾怒涛の底に追いこんだAntichrist(アンチクライスト 反キリスト)打倒の運動から説き起きなければならない。


                                                  ◇
 

 ひと口に言えば、それは例の終末待望論の一端を担うものなのだが、では、いつ終末が到来するか? ということを判断する目安として、新約聖書のヨハネ第一と第二の手紙の中に書かれてある「キリストが再臨する前に、反キリスト(すなわち悪魔 サタン)が、はっきりその正体を現わす」という予言を、ことさらに重要視している点に特徴がある。
 その中でも、十四世紀以降、政治、社会、宗教を徹底的に改革しなければいけないと覚醒しつつあったボヘミアの知識人たちは(当時はモラヴィア地方もその中に含まれていたのだが)「この世の悪の根源は、教会の中に巣喰っている反キリスト、すなわちローマ教皇庁と、それを支える高級聖職者の制度そのものにある」ことを強く主張した。
 言うまでもなくカトリック教会の首脳部は、それに対して苛酷な弾圧を加えた。しかし、そんなことには屈せず、かえって必死の抵抗をする人々が続出して、それがまた、さらにルターなどを先頭とする宗教改革運動を、全ヨ-ロッパに蔓延させるきっかけとなり、最後には、いわゆる三十年戦争に突入したあげく、新旧両派とも疲労困億の極に達するに至ったのである。
 ところが、そのような殺伐で、食うか食われるかの時代のさなかにあっても、武力による闘争をできるだけさけて、迫害されれば、ひたすら地下に隠れるが、そのくせ、本来の信念は絶対にまげないというグループが、ほんの少数ながら存在した。その中の一つが、問題の〈モラヴィアの兄弟たち〉だったのである。


                 ◇
 

 それにしても、この〈モラヴィアの兄弟たち〉の名が、その後、欧米の進歩的な有識者の間で、ことさらに畏敬の念をこめ囁(ささや)かれるようになったのは、十七世紀に、ヨハン・アモス・コメニウスというあまりにも偉大なる世界平和運動家が、〈兄弟たち〉の中から現れたためだった。
 彼は、①世界平和の第一歩は、すべての宗教が党派根性をすてること、②それには、全世界の国民に、もれなくパンソフイ アPansophia(あらゆる知識を偏見なく集大成した学問)を普及すること、③さらに、その基礎となるものは、教育制度の根本的な改革であることを、ヨーロッパ各国の知識人に説いて廻った。
 このコメニウスの言動が、トルストイの後半生に、どんなに大きな影響をあたえたかということは、あのヤースナヤ・ポリヤーナの邸の奥に今もある、古い樫の木の茂みに囲まれた彼の墓こそは、〈 蟻(ムラヴェイ)の兄弟たち〉の魔法の杖が埋められてあるに相違ないと、彼が子どものころに思いこんでいた所だったという事実――言いかえれば、死んでからの後々までも、〈モラヴィアの兄弟たち〉の理想を、大事に胸に秘めながら葬られることを望んだというトルストイの逸話そのものが、充分に語り尽していると思う。
 さて、そうなると、ここで改めて、もう一度考えなおさなければならないのは、〈モラヴィアの兄弟たち〉やトルストイが、あくまでも排除しようとする反キリスト(悪魔)なるものの正体は一体なにかという問題である。
 〈トルストイの予言〉では、それが〈重商主義(マーカンテリズム)の魔女〉となっているが、この世に悪魔などというものが、はたして実在するのだろうか?

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            7 鬼と魔のちがい   

 大昔の中国には、魔という字がなかった。だから梵語のmaraを、磨羅と、発音どおりに表記していたのだが、梁の武帝のころから、魔という文字を用いるようになった。仏教伝来以前から存在した鬼(クイ)は、見るからに恐ろしい容貌をしていて、野生的で、やたらに怒ったり暴れたりして人間を苦しめるが、その反面、宥(なだ)めたり賺(すか)したりすれば、すぐ気嫌をなおして、人間の味方にもなる。かたや魔の方は、あくまでも求道者の心を迷わしたり、修行を妨げるのが専門で、時には美女などに化けて媚び諂(へつら)ったりするが、人間に対しては、終始一貫敵意をもち続けている。それと同じように、ヨーロッパでも、鬼にあたるのがdemon(ギリシア語のdaimon)であり、悪魔はdevil(ギリシア語のdiabolos ヘブライ語のsatan)と、一応区別するのが原則なのだが、中世以降、キリスト教の世界では、デモンを、いわゆる悪魔の意味と混同して使うようになった。その結果、神学(theology セオロジイ)に対する悪魔学がdemonology(デモノロジイ)ということになったわけである。

                  

 

 そこで、もう一度デモンのルーツをたどりなおしてみると、古代ギリシアでは、非業な死を遂げた人の怨霊(つまりデモン)は、墓場のそばを通る人間にとりついて崇りをするものと信じられていた。さらにローマ人は、執念深いデモンが、仇敵の家族を子々孫々まで苦しめるといってひどく恐れた。
 そのくせデモンは、ひたすら慇懃(いんぎん)にもてなして、よく話しあえば、あべこべに人間を助けてくれるという善意の持ち主でもあった。だから、ソクラテスには、非常に仲のいいデモンがついていて、彼がまちがった行為をやりそうになると、いつも耳もとで警告をしてくれた――と言い伝えられている。つまりデモンは、扱いようによっては、強力な守護霊でもあったのだ。
 ところが、キリスト教が隆盛になると、宣教師たちは、行く先々の非キリスト教国の従来の信仰を徹底的に排除しようとした。そのために、それまで住民が崇拝していた守護神(デモン)なるものを、ことごとく悪魔の配下と断定して追放したのである。
 
それ以来デモンは、嵐の晩などに、森の奥や暗い小道などに現れて、木の枝をゆさぶったり、人の肩に飛びついて、臆病者をこわがらせるのが精一杯で、時には蟇蛙(ひきがえる)や鳥や熊や狼に化けたり、夢の中で眠っている人を魘
(うな)す程度の悪戯しかできない存在として軽蔑されるようになった。
 しかし、それでもなおデモンは、伝説やミステリーの主人公として、ヨーロッパの庶民の心の底に、ひっそりと住み続けた。言いかえれば、キリスト教以前のヨーロッパ人の祖先たちは、デモンを、それほど悪い奴とは思っていなかったのである。

                  ◇

 それはともかくとして、デモン(鬼)は、直情径行で、無知で、野蛮で、どう考えても欠点だらけだが、悪魔(デヴィル・サタン)のような好智にたけた悪意はもっていない。そこが両者の根本的な違いである。というよりは、(デモンにせよ、悪魔にせよ、いずれも人間が想定して造り出したのだから)デモンと悪魔の相違は、それを創造した人々の(その時代の)ものの考え方の違いが、そのまま反映しているのではないだろうか? ただし、それは人間だけに限ったことではない。たとえば、ライオンは弱い動物を殺してたべる。しかし、腹がすいていなければ、目の前に餌物がいても手を出さない。だからといって、ライオンは、空腹の時に弱い動物を殺してたべることを、悪いとは思っていない(食べられる者の迷惑には気がついていない)ここが、いわゆるデモン的精神構造なのである。
 ところで、霊長類の中で、人類をのぞく猿類の大多数が、肉食をしていないのだから、おそらくわれわれホモ・サピエンスの祖先も、最初は草食動物だったのだろう。それが何かの機会(はずみ)に(ライオンが残したものを盗み食いなどして)肉の美味(うま)さをおぼえた。それでも、死肉を漁っていたころの原始人たちの心理状態は、今日からみたら、いたって無邪気なものだった。
 しかし、木の枝や石を使いだし、さらには石を細工して槍や鏃(やじり)を作るようになると、もう無邪気とは言えないのである。なぜならば、道具を作りながら、それを使って餌物を殺す時の情景を想像しているからである。それは、わずかながら、デモンから悪魔(デヴィル)へ踏みこみかけている証拠だ。
 そういえば、かってフランスのソリュートレ遺跡に近い絶壁の下から一○万頭の馬の骨が発見されたが、これは石器時代の人間が、そこから転落させて殺したものだという。もちろん一度に一○万頭の馬を殺したわけではなく、何代もかけて繰りかえした揚げ句にはちがいないが、それにしても、こういう狩猟のやり方は、まさに悪魔的といわざるをえない。
 にもかかわらず当時の人間は、それを少しも残酷とは思わず、むしろ面白半分でやったに相違ない。いや、それだけでなく、この〈ソリュートレの猟師〉たちは、彼らより力の劣った先住者たちを、情容赦なく、その洞穴から追い払っていることが、遺跡の状況から推察されるという。人間同士の問の弱肉強食が、もうこの時代から始まっているのである。

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            8   人間とデモンとの契約

 人間は、何かの偶発(はずみ)で、人なみ以上の権力を握ったり、普通より豊かな生活ができるようになると、つい「それは我が身に備わった特権だ」と思いこむ傾向をもっている。そして、自分より弱いものを、どんなに虐待してもいいような気になりだす。
 その点から類推すると、石器時代の人間が、初めて槍や弓矢を使って、獲物をしとめる手段(てだて)をあみだした時に、「自分たちは超能力者だ」と自惚(うぬぼ)れたであろうことは疑う余地がない。おそらく彼らは、人間以外の生き物を如何にむごく取り扱っても、また自然界をどんなに乱暴に踏みにじってもかまわないと考えたに相違ない。
 しかし、そのような途方もない傲慢な心の隅にも、時折り暗い影がさすことがあった。それは、彼らが思いもかけぬ災厄に遭遇した場合である。たとえば崖から落ちて大怪我をした時。洪水、山崩れ、噴火、嵐、落雷などに見舞われた時。あるいは猛獣に襲われたり、毒蛇に噛まれたり、難病に罹ったりした時など

……。そういう目にあった瞬間に、「自分がかって危害を加えた動物や自然(山や森など)が復讐しようとしているのかもしれない」という恐怖が、ちらっと彼らの脳裏をかすめたはずである。

 もっとも、「誰かが自分に敵意を抱いている」と妄想するというのは、その本人が、以前に何物かを罠にかけたり、騙し討ちにしようと企んだことがあればこそなのだが、とにも角にも原始人たちは、周囲の山や沼や森や木や石や動物たちを悪霊(デモン)として恐れるようになった。いや、それどころか揚句の果てに彼らは、「ありとあらゆる禍(わざわい)は、すべてデモンの呪いのせいだ」と信じきってしまった。 
 それにしてもデモンは、元来(もともと)人間の想像物にすぎないのだから、その性質も全く人間と同じで、怒ったり、悲しんだり、喜んだりするものと彼らは推測した。だから何らかの災厄が身に降りかかると、それはデモンを怒らせたせいだと判断して、謝罪したり、なだめすかしたり、媚び諂(へつら)うことによって、気嫌をなおしてもらおうと苦心惨惜した。たとえば、デモンの好物(食べ物や花など)を供えたり、楽器を奏でたり、デモンを褒め称えたりした。要するに、これが、いわゆる宗教儀式の濫觴(おこり)でもあるわけだ。

 

                 ◇

 

 しかし、時がたつにつれて、彼らは、これから何かデモンの気に障るようなことをやろうと計画(もくろ)むとき(たとえば山や森で狩りをする前に――)あらかじめデモンの了解をえるための儀式を行うようになった。その名残りで、今日でも、アフリカや東南アジアなどで原始的な狩猟を行っている人々は、獲物をとりにゆく前後に、いろいろの呪(まじな)いをする。
 一見それは、極めて当然の成り行きのように思えるかもしれないが、よくよく考えてみると、実は、人類の道徳意識の一大転機として、割目すべき事件なのだ。なぜならば、それ以来人間は、いささか良心にそむく行為を(たとえば何物かを殺害したり掠奪したり)する前に、あらかじめデモンに賂(まいない)を贈って了解をえておけば、どんな非道なことをしても、復讐されたり、罰される心配はないという牽強附会(こじつけ)が成り立つことになったのである。
 これこそ石器時代の人間が、武器を発明すると同時に考えついたに相違ない恐るべき狡猾なごまかしの論理だった。しかも、この考え方は、その後人間の畏怖する対象が、デモンから神に代っても、そのまま残ることになった。言うなれば人間は、「それは神が決めたことだ」とか「神が許している」という口実のもとに、一定の範囲を越えない限り、安心してぎりぎり一杯の悪徳を犯すことができるようになった――といっても過言ではない。
 そればかりでなく、やがてデモンや神の権力が少しずつ人間の手に移るようになると、今度は、「国王の許可をえて」とか、「民主主義にもとずく法律の定めるところによって」というような名目で、弱肉強食的行為が、いくらでも正当化されるようになるのである。

                  ◇

 そこで、もう一度、大昔の人間が初めてデモンと契約を結び始めた時代に話をもどすと、この両者の間の取り引きは(本当は人間の独り相撲にすぎないのだから)必ずしも常にうまくゆくとは限らなかった。偶然希望通りの結果になることもあれば、全く願いが叶えられない場合もある。そうなると(デモンの数は無限にあるのだから)どんなデモンに何を捧げるべきか、どんな儀式を行うべきか――という問題を、徹底的に追究しなければならなくなってくる。
 そのためには、デモンについての知識をより多く持っている人物の教えを乞うたり、そういう人物に代って儀式を行ってもらうケースがふえはじめる。そして最後には、ある特定の人物でなければ、デモンと掛(かか)り合いをもつことができないことになる。それがいわゆる呪術師(後の宗教家)の誕生でる。
 こうして一般人は、呪術師をデモン同様に尊敬し、デモン同様に恐れるようになった。そのうえ、これまで直接デモンに捧げていたものを、すべて呪術師を通じて捧げることになった。
 したがって呪術師は、誰よりも大きな権力と富を、一手に握る立ち場になったのである。

 

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            9   すべてに呪術の影がさす

 人類は言葉と道具を発明したことによって、その生活様式と内容が飛躍的に向上した。だが、それとともにデモン(悪霊)という厄介な共同幻想をしょいこむことになった。そのうえ、一般民衆とデモンとの間に一対一の直(じか)取引ではあきたらず、両者の中間に呪術師という代理人(エージェント)が割り込んでくるに至って、問題はより一層複雑怪奇なものとならざるをえなくなった。
 おそらく、この呪術師なるものは、原始社会に発生した最初の専門家(プロフェッショナル)であり、上流人士(エリート)であり、特権階級だったといえるだろう。しかし、その反面、極めてこけおどし的であり、山師的
な存在だったに相違ない。
 
だからといって、呪術師のすることなすことが、根っからの詐欺行為ばかりだったわけでもない。彼らは、長年の(それも何百年、何千年の)経験にもとずいて、「いつ作物の種をまき、いつ取り入れるべきか」とか、「どんな病気には、どんな治療を施すべきか」というような知識を、かなり精(くわ)しく習得していたはずだ。ただし、それを決して合理的には解明せず、あくまでも呪術師の霊力のおかげのように民衆に思いこませようと、苦心惨憺して出鱈目のこじつけをならべたてたのである。
 その結果、二○世紀が終らんとする今日でも、アフリカなどには、「落花生の病害がおこるのも、妻が不機嫌で夫のいうことをきかないのも、すべて何ものかが呪いをかけているせいだ」ときめこんで、いちいち、その犯人(デモン、あるいはデモンをあやつる人間)を、呪術師に占ってもらって、厄払いのご祈禱をしなければならないと信じている輩が実在するという。
 もっとも、よく考えてみると、日本にだって、それと本質的には大差がない〈如何がわしいご託宣〉を触れまわって、狂言者から莫大なお布施を巻きあげている迷信宗教が、いまだに掃いて捨てるほどあるのだから、「呪術は過去の化石みたいなもの」などと、対岸の火災視しているわけにはゆかない。いや、それどころか、人類は、もっとさし迫った破局に直面しているのかもしれないのだ。

                  ◇

 
 そもそも、われわれの日常生活の基(もとい)となっている衣食住に関する習慣をはじめとして、技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治、経済などの歴史をどこまでも逆のぼってゆくと、そのほとんどが遠い大昔の呪術に源(みなもと)を発している 
――といっても過言ではない。となると、われわれが先祖から継承してきた文化遺産なるものの中には、なにがしかの呪術性が当然残存しているはずである。ただし、大抵の人は「残っているにしても、時代とともに薄まって、今ではごく微量にすぎない」と高(たか)をくくっているようだ。しかし、本当にそうだろうか?
 つい最近まで人類は、水質汚染とか大気汚染とか土壌汚染などということを、まったく気にしていなかった。海も空も大地も広大なのだから、人間が少々毒物を流しても公害などおこるはずがない 
――と信じていたのだ。ところが、阿賀野川で起った第二水俣病を例にとると、工場から排出された有機水銀は、藻から水生昆虫、小魚、肉食魚という食物連鎖の過程をへて、河口の魚の体内には最初の数万倍から数十万倍という濃度に蓄積されていたために、それを口にした人々の中から多数の中毒患者が発生したのである。
 このことから類推して、「現在ひろく行きわたっている文化の中にも、邪悪な意図による呪術性が濃縮されているものがありはしないか」と危倶する人を最近時おり見かけるようになった。実は、その中でもトルストイなどは急先鋒の一人というべきだろう。
 彼は「さらば われら 何をなすべきか」の中で、「たとえ刑法とか、憲法とか、国際法とかの理論を考察したり、新型の大砲や爆発物を発明したり、卑猥なオペラやオペレッタ、もしくは同じく卑猥な小説を作ったりしている学者や芸術家がみずからを何と誇称しようとも、われわれはこの活動を科学や芸術と呼ぶ権利はもっていない。この活動は社会や人類の幸福を目的とせず、逆に人々を毒する方向に向けられているからである」(トルストイ全集16 一七一頁)と断言している。
 ここでトルストイが厳しく非難している〈憲法や刑法の立案者〉とは帝政ロシア時代の御用学者をさしているのだが、一方では、核兵器の製作に加担する科学者の出現を、この時すでに彼は予見していたのかもしれない。
 それにしてもトルストイが、その後の著書『芸術とはなにか』や『シェイクスピア論』などを通じて、世界的に著名な劇作家、小説家、音楽家、画家たちを、手当り次第に容赦なく槍玉に挙げている頑固さには、必ずしも全面的には同意しかねるが、彼がそれほど遠慮会釈なく同時代の芸術家たちの心の奥底にひそむ呪術性を暴きたてずにはいられなかった背後には、もしかすると例の〈トルストイの予言〉の中で、「魔女の第二番目の炬火(たいまつ)の炎が文化人たちの心に燃えうつると、彼らは名声や利欲に迷いはじめて、真理が把握できなくなる」と警告しているのと、一脈あい通じるものがあるのではなかろうか?
 だが、そうなると、〈予言〉にでてくる〈魔女の第一の炬火〉と呪術との関係は、ますます深刻な様相を呈してくるのである。
                                                                                       

             

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            10   幻の人権保証

〈トルストイの予言〉によると、〈魔女が手にする第一の炬火〉は、もっぱら政治家や軍人の心に〈戦争の焰(ほのお)〉を焚きつけて歩く――という。果してトルストイがそんな〈予言〉をしたかどうかはさておき、彼が著した「神の王国は汝らのうちにあり」には、次のような文章が載っている。「権力は常に軍隊を支配する人々の掌中にある。そして常にあらゆる権力者たちは――口-マ皇帝からロシア、ドイツの皇帝に至るまで――なによりも軍隊に心を砕き、ひたすら軍隊に媚びているが、それは軍隊と共にあるかぎり、権力は彼らの掌中にあることを承知しているからである。
 「普通の人々は、軍隊が政府によって増強されるのは、他国から自国を防衛するためにすぎぬと考えている。が、それは、軍隊がまず政府にとって必要なのは、政府自体を、圧迫され奴隷状態に導かれた自国の臣民から守るためだということを忘れているのである。」

 「しかし政府は一つではない。隣にはまた別の政府があって、やはり同じく暴力によってその臣民を利用し、すでに奴隷状態に堕した臣民の労力を他の政府から奪おうと常に狙っている。したがって、どの政府も国内で使用するためのみでなく、自己の獲物を隣の掠奪者から守るためにも軍隊が必要なのだ。各国はその結果、知らずしらず互いに相手に対して軍隊を増強する必要に駆られてくる。」(河出書房新社 トルストイ全集15 中村融訳)
 トルストイが、この本を書いてから約一○○年の月日が流れた。そして、その間に二度も世界大戦が勃発したというのに、それでもなお懲りずに列国の軍拡競争は、まさに止(とど)まるところを知らない。それどころか人類絶滅の破局は、一触即発というギリギリの瀬戸際に迫っているのだ。
 とはいえ、よくよく考えてみると、事ここに至って遠因は、どうやら原始時代の人間の心の底に根ざしていて、爾来(じらい)何十万年の歴史とともに育まれて来たものらしいのである。

                  ◇

 くり返して述べられてきたように、原始人は悪霊(デモン)を人間と同じ性格の持ち主だと信じていた。つまり、怒りっぽくて、わがままで、時には面白半分で生物を虐げたり殺したりする。そのくせ、媚びへつらって賄賂を贈れば、すぐ煽(おだて)に乗って、いくらでも依怙贔屓をするいうことは、かえって狡猾な人間にとっては極めて好都合な代物だったわけだ。それなのに、呪術師(宗教家)が仲介に立つようになると、そうあけすけに邪悪な意図の願事をするわけにはゆかなくなる。そこで、とかく安易な他力本願の道を歩みたがる一般民衆は、実在の人間の中から、「悪霊(デモン)に似た性格の持ち主で、しかも自分たちの低次元の欲望を充してくれそうなカリスマ的超人」を探し出すことにした。それが、いわゆる酋長とか王とよばれる人になるのである。したがって、「彼ら(酋長や王)が公明正大な人格者であるよりも、むしろ好戦的で悪霊(デモン)そっくりの暴君であること」を自他ともに〈美徳〉と思いこんだのは当然だった。
 とは言うものの、場合によっては、その圧制や不正にたまりかねて、抗議を申し立てる者があったに相違ない。だが、それが一人や二人なら、酋長や王自身が力ずくで黙らせてしまうのは、たやすいことだった。ところが、何十人、何百人が結束して反逆したとなると、いわゆる集団的な自衛組織が必要になる。それが警察や軍隊の始りである。

 もちろん今日の理想的な法治国家の警察や軍隊は、社会・公共の安全・秩序を公平に護るのが建前になっている。しかし、原始時代の社会では、いわゆる被治者(民衆)の生命、自由、財産などは、まったく保証されていなかった。その反
面、統治者(酋長・王)は、欲しいものを好き勝手に被治者から取り上げることができたのである。
 けれども、その後、酋長や王の周辺に、軍人や官吏をはじめ権力者の走狗となって働く追従者の数が増えはじめると、「そういう人々が使用する土地や奴隷や家財などは、酋長や王といえども勝手には取り上げない」という約束が必要
になった。こうして一部の特権階級の私有財産が認められるようになったのである。言いかえれば、〈私有〉ということは、本来万人平等のものではなく、権力者たちの〈特権〉の一つにすぎなかったのだ。
 それゆえに、法律や道徳で「盗むなかれ、殺すなかれ、姦淫するなかれ」というのも、もともとは、支配階級の人々の財産や生命や家族に対して、一般民衆が、濫(みだ)りに手をださないように厳しく戒めるのが目的だった。だから、逆に支配階級の人間が、一般民衆のものを掠奪した場合には、被害者は泣寝入するより他に仕方がなかったのである。
 それにしても、それは遠い昔の話で、二○世紀の法治国家の国民の生命、自由、財産は完全に保証されている
――と、殆どの人が信じ切っているようだ。しかし、ついこの間の第二次大戦を体験した人ならば身に沁みてわかっているはずだが、ひとたび戦争となったら、一般国民の生命の安全も、身体の自由も、財産の所有権も、悉(ことごと)く塵芥同然に無視されてしまうのである。にもかかわらず、「第三次大戦は絶対に起らない」という保証を一体誰がしてくれるのだろうか?

 

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            11  所有とは何か

 

 前にも述べたとおり、一九世紀の終りごろに、第一次世界大戦の勃発を憂慮した有識者は多かった。(『柏樹』一九八七年一一月号参照=だが、そのほとんどが「列国の無制限な軍備拡張競争」を問題にしているのであって、その当時のヨーロッパの飛躍的な経済成長そのものの中に禍根が潜んでいる》」とを指摘している意見は寥寥(りょうりょう)たるものだった。
 その点から見て、〈トルストイの予言〉が、「一九一三年ごろから世界大戦の
がもえはじまる。そして、その火付役は重商主義(マーカンテリズム)という名の魔女である」と断定しているのは、極めてユニークな発言だといえよう。しかし「重商主義」という用語が、ちょっと気になる。なぜならば、一般の常識からすれば、重商主義とは「政府の保護や干渉によって国富を増大させる対策」であって、少くとも第二次大戦後の自由貿易一辺倒の世界には、重商主義などというものの影も形も存在しないはずなのである。
 ところが意外なことに、建前と本音はまったく正反対(あべこべ)で、今日の世界各国の政府は、表向きは自由貿易を強調しながら、実際は目の色を変えて、自国の産業の保護育成に熱中している始末である。つまるところ、あけすけに言えば、現代は新しい意味での「重商主義」(あるいは商業主義)の時代なのだ。では一体「商業」とはなんなのだろうか?
 多くの学者が「ギブ・アンド・テークという行為は〈所有〉という概念と共に大昔から存在した」という意味のことを説いている。だが、いささか議論の余地がありそうだ。
 人類は最初、誰でも目前にある物を自由に手に入れることができた。言いかえれば、自然界の物を一方的に掠奪したのである。ところが、そこへ、より強い人間がやって来て、折角の獲得物を奪い取られることもある。被害者は大いにくやしがるだろうが、結局あきらめるより他に仕方がない。そして、また新たに、自分より弱い植物や動物や人間などから何かを掠奪する機会を探し求めるだけの話である。いずれにしても「自分以外のものの所有権」などという意識は誰にもなかったのだ。
 皮肉なことに、原始時代の人間が「自分以外のものの所有権」らしきものの存在を意識しはじめたのは、デモン(悪霊)に対してだった。彼らは、デモンの所有に属する(と信じこんでいた)ものを手に入れる前提として、あらかじめデモンの諒解を得るために、獲物の一部(あるいは何か別の物)を、デモンに納付する約束をした。
 では、そのデモン(本当は呪術師)は、その供物の代償として一体何を支払ったのだろうか? 「傷害とか病気とか天変地異といったような禍いをこうむらずにすむ」という「幻の安心感」を与えるだけなのである。これは、まったくもって最近流行の霊感商法そのままの詐欺行為だ。
 だが、そういう商法だけを一概に悪徳と非難する前に、もし本来の商業が「人間同士の所有権を前提とする公正なギブ・アンド・テーク」だとするならば、そもそも「所有」とは一体何なのだろうか?

                  ◇

 

 われわれが「何かを所有している」と主張する場合、その根拠を徹底的につきつめてゆくと必ず最初は誰かが自然界から一方的に搾取なり収奪したものなのだ。ところが人間は、それを「掠奪ではない」と弁明するために、「デモンの許可をもらってある」と偽証することにした。もっとも、その後、デモンが神や国王や政府に変ることになるのだが、「自然界の物を一方的に搾取したり収奪してもいい」という許可を与える権利なんか、もともと誰にもありはしないのである。
 にもかかわらず、その偽のライセンスを、あくまでも正当なものと言いはるためには、人類は、デモンやその後裔たちの権威を積極的に認めて、自分から進んでデモンの奴隷として駆使される運命をえらばざるをえなくなった。
 かくして人間は、何等かの形でデモンのために盲目的に奉仕することによって、それ相応の財産を所有する権利を保証してもらった。だが、デモンに惑わされた人間が多くなればなるほど、世の中には実質のともなわない無益な物やサービスが氾濫する。しかも、
それを必死になって必ず最初は誰かが自然界から一方的に搾取なり収奪したものなのだ。ところが人間は、それを「掠奪ではない」と弁明するために、「デモンの許可をもらってある」と偽証することにした。もっとも、その後、デモンが神や国王や政府に変ることになるのだが、「自然界の物を一方的に搾取したり収奪してもいい」という許可を与える権利なんか、もともと誰にもありはしないのである。
 にもかかわらず、その偽のライセンスを、あくまでも正当なものと言いはるためには、人類は、デモンやその後喬たちの権威を積極的に認めて、自分から進んでデモンの奴隷として駆使される運命をえらばざるをえなくなった。
 かくして人間は、何等かの形でデモンのために盲目的に奉仕することによって、それ相応の財産を所有する権利を保証してもらった。だが、デモンに惑わされた人間が多くなればなるほど、世の中には実質のともなわない無益な物やサービスが氾濫する。しかも、
それを必死になって消費しないと、いわゆる経済の仕組がなりたたない。そこで、全人類に出来る限り多くの物を浪費させようと、あらゆる国々の政府が競って対策をめぐらす。
 だが問題はそれだけではない。そもそも人間の欲望を満足させるための財貨を獲得するということ自体が、自然を搾取したり収奪することなのだから、急速に地球全体の資源が枯渇し、宇宙的規模での公害が蔓延するに至るのは当然の結果なのである。
 よくよく考えてみると、人類は、デモンという虚構を捏造した瞬間から、何か大きな過失(あやまち)を犯しはじめたのではないだろうか?

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            12  「この世」と「あの世」の支配者 

 

  Man is mortal.(生者必滅)ということを、現代人は何の抵抗もなく納得しているようだ。
 ところが古代人は、「生者必滅」とは思っていなかった。もちろん〈死〉なるものが存在して、情用捨(なさけようしゃ)なく頻繁に彼らの周辺の生物に襲いかかるという事実は認めていた。しかし、それはすべて例のデモン(悪霊)の崇りだと信じていたのである。
 したがって、常日ごろ、なるべく多くの賄賂(まいない)をして、デモンの機嫌をそこなわないように注意すれば、永遠に無病息災でいられるものと、思いこんでいたわけだ。
 その名残りで、二十世紀の今日になっても、核戦争とか交通事故とか癌などという名の凶悪なデモンに遭遇しない限り、まずもって安心と、死の問題を等閑(なおざり)にしている人が案外多いのではなかろうか?
 それはとも角として、古代人の中にも、何千年何万年という経験(歴史)の跡を辿っているうちに、「いくら誠心誠意デモンに祈願したからといって、誰一人死はまぬがれないのだ」と気がついた者があったはずである。そして思わず傑然としたに相違ない。
 では、それ以後、人間はデモンを信頼しなくなったかというと、あに図らんや、かえって益々デモンを畏怖しなければならない羽目になったのである。なぜならば、デモンの代弁者である呪術師(宗教家)たちが、「肉体は死ぬが霊魂は不滅だ」という巧みな〈逃げ口上〉を発明したからだ。
 それを聞いた俗人たちは再び納得して一応安心した。こうして、「この世」の他に「あの世」なるものが存在するという新しい信仰が生まれたのである。しかし、そうなると、またまた面倒な問題が頭をもたげだしてきた。

                   

 

 一体「あの世」とは、どんな所だろうか?、最初は、人間の住む部落からあまり遠くない山や、海の彼方のどこかで、死者の〈霊魂〉は一人残らずそこへ行く権利を持っており、そこでは「この世」と同じような暮しをしているものと想像されていたようだ。だが、やがて「この世」の支配者であるデモンの勢力が、「あの世」にも影響するという解釈が成りたつようになると、「この世」から「あの世」へ行く手続きが極めて言いかえると、「あの世」なるものが一カ所ではなくて、天国(または極楽)と地獄のような、まったく環境の違う地域に分かれているばかりでなく、人間の霊魂は死んでから後も、自分勝手に好きな所で気侭(きまま)な暮しをすることが許されないことになってしまったのだ。
 もちろん、そうきめたのはデモンの代弁者の呪術師(宗教家)たちである。では、どんな人は天国(または極楽)へ行けて、どんな人は地獄へやられるのだろうか?
  いうまでもなく、建前(たてまえ)としては、「この世」で善い行いをした者が天国へ行けて、悪いことをした者が地獄に落されることになっている。それにしても、一体何が善いことで、何が悪いことか? ここから先が問題なのである。
 そもそも「この世」の支配者がデモンである以上、「この世」で善と認められることは、デモンにとって都合のいいことであり、悪とはデモンの意志に逆うことである。となれば当然「あの世」へ行く条件も、それと同じでなければならない。
 それどころか、前にも述べたとおり、「この世」では、デモンにどっさり賄賂(まいない)をするか、デモンの手足となって犬馬の労を尽せば、少々過ちを犯しても、大目に見てもらえることになっているのだから、生前にデモンのための大神殿を建てたり、繰り返し盛大な祭りを催した、いわゆる権力者や金持ちたちは、どんな悪虐非道なことを行った者でも、大手をふって天国へ行けるわけなのである。
 これは、どう考えても理屈にあわない訳だが、なにしろデモンという代物は、恐ろしく嫉妬深くて依怙贔屓(えこひいき)で、気が短くて、ひとたび腹をたてたら、どんな崇りをするかまったく見当がつかないのだからたまらない。それにまた拍車をかけて、呪術師(宗教家)たちが「何をしたらデモンが喜び、何をしたら機嫌を損じるか」ということを、徴に入り細にわたって列べたてはじめた。
 そのおかげで馬鹿正直な庶民どもは、寝てもさめても「如何にしたら死後地獄に落されずに
すむか」ということにばかり心を奪われて、いわゆる理性などを働かせる余地はまったくなくなってしまった。
 だが、本当にこれでいいのか? 何か根本的に間違っていないのか?
 もし、この世に〈神〉なるものが存在すると仮定するならば、いわゆる罰する神、怒る神、ねたむ神であっていいのだろうか?
 人類が(その中のほんの数人が)この問題に、初めて鋭い疑いの目を向けるようになったのは何時のことだったろうか?

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            13    思潮が大きく変る時

​ いきなり唐突な話から始って恐縮だが…… 
毎年建国記念日が近づくと、新聞などで、その存続論と廃止論がむし返される。前者はただ一途に戦前の紀元節に郷愁を感じている人々の意見であり、それとは対照的に「紀元前六六○年に神武天皇が即位されたという日本書紀の記述には、歴史的な裏付けがまったくない」と貶(けな)すのが後者の言いぶんである。だが私は今ここで、その問題の理非をあれこれと弁ずるっもりはない。私が興味をそそられるのは、「なぜ日本書紀の著者が、ことさらに紀元前六六○年を〈建国の年〉として選んだか」という点にある。
 手っ取り早く言えば、この年が、六○年毎(ごと)に巡ってくる干支(えと)の辛酉(しんゆう=かのとのとり)にあたり、大昔から中国には「辛酉の年に革命や天変地異がおこる」という定説があったからだ。ただし紀元前六六○年ごろの日本といえば、やっと縄文時代になったばかりだから、建国物語の真偽のほどは確かめにくいが、「当時の日本列島になんの異変もなかった」とは、誰にも断定できないはずである。
 さらに翻(ひるが)えって、視野をアジア大陸の全域に広げると、「問題の紀元前六六○年ごろを契機とする紀元前七世紀から四世紀の半ばにかけての約三百年は、実に古今未曽有の大変動期だった」と言っても少しも誇張ではない。

 とりわけ黒色黄色白色の各人種と、それぞれの異った宗教が渦巻いていた近東アジア。中でも地中海の東端に接する小アジア半島のイオニア地方では、それまでの神話的神々に対する信仰が薄らぎ、神の後裔であると呼号してきた王族たちが民間から台頭した実力者に取ってかわられ、一方的に搾取するだけの特権階級よりも、自ら生産し交易にいそしむ新興民衆の勢力が強大になりつつある時代だった。要するに、すべての古い因習が一挙に崩壊する運命に瀕していたのである。
 ちなみに、その大変動の気運が本格的に胎動しはじめた最中の紀元前五五○年を一応の目安にしてみると、「学問の出発点、合理的認識の端緒(いとぐち)」と称せられる〈自然哲学〉の創始者夕レスはその時七四歳。有名なピタゴラスは三○歳。
ヘーゲルやマルクスから弁証法の草分けとして高く評価されているヘラクレイトスは、それから六年後に生れているし、その外にまた、後日イエス・キリストに少なからぬ影響をあたえたといわれる第二イザヤ書の著者も(名前や年齢こそわからないが)ちょうどそのころ、問題の予言書をバビロンで密かに執筆中だったものと想定されている。
 ところが奇妙な暗号はそれだけではない。紀元前五五○年といえば、インドでは釈迦が一三歳、中国では孔子が三歳になっている。そして、どうやらジャイナ教を開いたマハービラも、道家の祖・老子も、彼らとほぼ同年代の人物だったらしい。 
 このように史上空前の超人(スーパーマン)の群れが、あたかもヒマラヤ山脈の峰々のように肩をならべて出現したこと自体が不思議千万な現象だが、それにもまして刮目すべきことは、彼らのすべてが、こぞって、それまでのデモン(悪霊)的迷信や、それに基づくあらゆる悪弊を根底から否定するか、あるいは、てんから無視しているという事実である。

                 ◇

 一体何が原因で、こういう新しい思想が、時を同じうして地球上の各地に忽然と生れたのだろうか? 理由はいろいろ推測できるが、「その当時、自然界になにか常人には識別できない異変が発生して、それが特に霊感の強い人々だけに影響を及ぼしたのではなかろうか? しかも、その異変は約六~七○○年を周期とする大きなうねり波動となって、繰り返し襲来するのでは……」という奇抜な仮定をたてている人もある。
 そういえば、日本書紀の著者が革命の年として強調した紀元前六六○年から遡ること約七○年前には、エジプトの王ファラオ イグナートンが、従来のデモン的迷信を払拭しようという有史以来初めての大規模な宗教改革を企てているし、紀元第一世紀は言うまでもなく、突然現れたキリスト教が、ローマ帝国の全領土に広がりだした時であり、それから更に六○○年後の紀元七世紀といえば、マホメットが創めた回教が中近東の非キリスト教国を、次々と捲席していった時代にあたるのである。
 そこで万が一、「人間の思想の傾向は、およそ六六○年を周期として大きく変動するものだ」とすると、ちょっと気になることがある。それは「今から八年前の一九八○年が、例の日本書紀の辛酉革命の時代から数えて、第四回目の大変動期の幕開きにあたっている」という、いささか不気味な回(めぐ)り合せである。
 もしかすると、われわれは今、史上稀にみる思潮の急激な転換期に直面しているのかも知れない。だとしたら、これから先にどんな驚くべき大変動が勃発するのだろうか?
 そのことを見極めるためにも、過去の偉大な先哲たちが、何を考え、どう行動したかについて、改めて振り返らざるをえないのである。

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           14  フィロソフィア(愛智)の誕生

 

 原始時代の人間が、想像の産物にすぎないデモン(悪霊)を如何に畏怖したかどうかということや、そのデモンを盾に取って、如何に暴虐な恐怖神権政治がはびこったかということについては、これまで繰り返しのべてきた。
 ところが、なぜか紀元前六世紀前後に、前代未聞の大哲人たちが一斉に現れて、デモンの存在を頭から無視したばかりでなく、それに関連する宗教や道徳や社会制度のあり方を容赦なく批判するというハプニングがおこった。
 一体どうして、このような事態が、時を同じうして、地球上の至る所に続出したのだろうか? その由来を穿鑿(せんさく)する前に、もう一度ことの成り行きを振り返ってみよう。
 そもそもデモン信仰を土台とする呪術なるものが、大旨(おおむね)いかさまであることには、議論の余地がない。にもかかわらず善良な庶民たちは、そこには少しも嘘偽りがないものと盲信しきっていた。従って「呪術師こそ最も崇高な天職」と憧れて、わざわざ弟子入りを志願した者も相当あったはずだ。とはいえ、もともと虚仮威(こけおど)しの手練手管(てれんてくだ)が多いのだから、いくら修行しても、超能力が身についたり、奇跡が起こったりはしない。結局、大部分の者が途中で落伍する羽目になる。
 もっとも中には、呪術が詐欺行為であることを百も承知の上で、逆に、その手口を習得して大いに悪用しようと目論む不心得な輩もあったに相違ない。そのおかげで、呪術はますます狡猾なものとなって、長く後世に害を及ぼしているのである。

                  ◇

 
 だが、やがて、それとは正反対の型(タイプ)の人間が姿を現しはじめた。つまり、デモンや呪術師には愛想をつかしながらも、なおかつ真理探求の理想をあきらめずに、あくまでも自力で、精根の限りを尽くして、言語に絶する難行苦行を積み重ねた人々である。彼らの多くは、厳しい禁欲生活を身に課し、時には決死の覚悟で長期間の断食をしなが瞑想を続けるということも希れではなかった。
 その結果、ごく特殊な人だけではあるが、いわゆるエクスタシー(忘我)の境地に到達することができた。元来、このエクスタシーとは「外に出る」こと。それが後に「霊魂が肉体の外に脱出して宇宙の本源に還る」という意味になった。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、その当時(紀元前六世紀ごろ)ギリシアから中近東、インドにかけての国々では、デモンの流れを汲む低俗な秘儀教団が無数に蔓延していて、酒や麻薬に酔ったり、無我夢中で踊り狂った挙げ句に、ある種の悦惚感を味わうということが大流行していたのである。しかも、そういう教団の狂信者たちは、その体験を「神が自分に乗り移った」かの如く思いこんで得意になっていた。
 しかし、もちろん真剣な求道者は、そういう低次元の精神状態に惑わされることなく、さらにより高い段階へと、ひたすら瞑想の極限にまで突き詰めていった。すると最後には自我という考えが悉(ことごと)く消え失せて、その絶対空無の彼方から〈万物一如〉という全宇宙的意識が燦然として輝き出すのである。
 それを当時の哲人たちは、或いはソフィアとよび、ロゴスとよび、グノーシスとよび、般若と呼び、智慧とよび、悟りとよんだ。
 実は、このソフィア(智慧)という神秘体験があってこそ、フィロソフィア(愛智)即ち哲学が生まれ、本当の意味での宗教が現れて来るのである。それゆえに、この究極の神秘体験をしていない人が哲学を論じ、宗数を語るということは、本来あり得ないことだったのだ。
 それなのに、世間一般の民衆は、あくまでも各自の霊魂が地獄などに堕(おと)されることなく、めでたく天国や極楽に生まれかわって、永遠に安楽な暮らしが続けられることだけを念じ、そのためにはデモンや、その代理人であると詐称する既成宗教家の教えを鵜のみにしなければならないと信じていた。そして、その枠組みの内に堅く閉じ籠もっている人こそ、敬度な信仰者と称えられたのである。
 しかし、ひょっとしたら、その当時すでに、例の秘儀教団などには、あともう少しで、哲人たちが説いた〈万物一如〉の教義が理解できる心境に近ずきつつあった者が、案外数多くいたのかも知れない。
 だが、万々一そんなことになったら、非常に困るのは、虚構のデモンを笠に着て、民衆を圧制してきた支配階級の人々である。そこで権力者たちは、ありとあらゆる手段を尽くして、哲人たちの新しい宗教哲学を抹殺しようとした。
 そのために、折角芽生えかけた革新的な思潮も、敵の目から逃れるために、徹底的な偽装を施さなければならなくなった。
 かくして、その後の宗教の歴史は、途方もない複雑怪奇な様相を呈し始めるのである。

 

※ 「黙示録の秘密」参照

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           15  屯の季節はいつまでつづくか

 

 昔から「易経を本格的に研究したい者は屯(ちゅん)の卦(け)から学ぶべきだ」といわれている。〈屯〉とは、草や木の種が地下で芽を出したが、外界はまだ厳しい寒さなので、どうにも動きがとれない状態のことだ。

 だが、もちろんそれは比喩で会って、易経の著者は、ともすれば時期尚早の計画をむりやりに断行しようと焦る人や、周囲の反対を押し切って結婚しようとする男女などに向かって「粘りづよく隠忍自重してチャンスを待て」と諭しているのである。

 それ故に、その観点から人類の歴史を顧みると、そこで絶えず繰りかえされているものは、「誰が何をしたか?」とか「何を言ったか」ではなくて、むしろ「何をしたくてもできなかったか?」「何を言いたくても言えなかったか?」であることに思いあたる。

​ たとえば旧約聖書の中の預言者の書を集めた部分を繙(ひもと)いてみよう。それは概して紀元前七、八世紀ごろに実在した高名な預言者たちの警世の叫びを、そのまま書き記したものと伝えられている。だが、どうも怪しい。

 では真相はどうかというと、ユダヤ民族のバビロン幽囚(紀元前六世紀)以降、今までの王家が廃絶したのにつけこんで、いわゆるデモン(悪霊)的祭司族が、神の代理人と称して絶対無制限の権力をふるい出した。しかし当然それに反撥して、その暴虐な神権政治体制を根底から覆(くつがえ)そうとする秘密団体が、いろいろと組織された。ただし彼らは、無謀な直接行動に走らず、自分たちの主義主張を、わざと過去の預言者たちのもののように見せかけて、密かに世の中に浸透させて行ったのである。

                 ◇

 もっとも、こういう運動のやりかたは、五年や十年どころか、百年や二百年ぐらいでは一向に捗(はかど)らない。ところが、やがて五、六百年の風雪をじっと地下で耐えぬいた末に、ある日突然小さな芽が外界に姿を現して、あっという間に繁殖しはじめるのである。

 その最も顕著な例が、〈ナザレのイエス〉に導かれた〈ナザレ人(びと)〉の教団だった。ただし、この場合の〈ナザレ人〉とは「ナザレ地方に住む人」という意味ではなく「大昔からナザレ人と呼ばれてきた徹底的に富や権力を嫌う特殊な苦行集団」を指すのである。(イエスの教団がキリスト教団となったのは、パウロが彼独自の教義を宣伝しだしてからのことで、それまでは世間の人々から、やや軽蔑の意味をこめて〈ナザレ人〉と呼ばれていたのだ。)

 では一体イエスは宣伝しようとし、なぜ十字架にかけられたのか?

 従来の旧約の神は、妬む神であり、怒る神であり、「自分を心から畏れ敬って、精一杯の貢物を献上しない者には、即座に祟りがあるぞ」と、信者たちを脅迫した。

 それに反してイエスは、「天の父は悪人にも善人にも平等に太陽を照らし、雨を降らせる方である」ことを力説したばかりでなく、「天の父が完全であるように、あなたがたも完全であれ」と弟子たちに訓告した。つまり彼は「この世に真の平和をもたらすものは、お互いの過失(あやまち)を許しあい、敵をも愛することである」と断言し、全人類の無条件助け合い運動を、極めて率直に提唱したのである。

 イエスはまた、あらゆる権力を否定すると同時に、富の私有をも否定した。だからこそ彼の死後、弟子たちは「わが物をわが物と言わず、されど一人の貧しき者もなかりき」といわれるような典型的な共同生活を営むことに専(もっぱ)ら力を注いだのである。

 たしかに、その当時ローマ帝国内の人口の大半を占めていた貧しき者、弱き者、虐げられている者にとって、イエスの教えはこの上もない福音だった。彼らは社会全体が一日も早くそうなることを渇望した。

​ とはいえ、それはイエスの教団だけの独壇場というわけではなかった。そのころのパレスチナ地方には〈一切の財産を共有にし、とりわけ質素な生活を理想としていた団体〉が、彼らの他にも無数に存在していたのである。

 さらに翻ってインドの仏教やジャイナ教などと比べてみると、やはりそこにも一脈のあい通ずるものがあることが、明らかになってくる。たしかに「全人類が挙(こぞ)って各人の利己的欲望を捨てて一心同体にならなければいけない」という気運が世界中に高まりつつあった時代だったのだ。

 しかし、折角手に入れた権力や財産を手離したくない者にとっては、それを危険思想と感じられたのも当然の成行だった。彼らは、その新しい運動を残る方なく撲滅しようと全力を尽くした。そしてついには、その教団内部にまで手を廻して、その教義そのものを歪曲したり、無力化してしまうのである。キリスト教も仏教も遂にその魔手から逃れることができなかった。

​ どうやら何十万年の時の流れからすると、人類にとっての〈屯〉の季節は、まだまだ終わってはいないらしいのである。

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           16  異端とよばれる人々の系譜

 

 〈ナザレ人(びと)のイエス〉の死後、その直弟子たちは先師の遺志を素直に受け継いで、〈一切の財産を共有する質素な宗教的共同体〉を営みはじめた。世間では彼らのことをも(苦行する人々の意味で)ナザレ人と呼んだ。

 ところが暫(しばらく)して、その名称が〈キリスト信者〉とかわり、組織が途方もなく膨大なものに脹れあがると、初期の〈ナザレ人〉たちの姿は、何時の間にか消え失せてしまった。

​ 一体彼らは何所へ行ったのだろうか? おそらく、〈キリスト教〉の主流派たらんと横車を押す人々との争いをさけて、人里離れた砂漠の奥地に隠遁したものと思われる。

                 ◇

 それから約六百年たって、マホメットが新しい宗教を開いた。彼は「アラーの神の啓示を受けた」と言っている。しかしマホメットの思想に最も大きな影響を与えたのは、以前からアラビアの砂漠の中で密かに修道生活を続けていたキリスト教徒(的確にいえばナザレ人の後裔)たちだったのではなかろうか? なぜならば、初めてマホメットが新宗教を提唱しだしたころ、彼は「ヨーロッパのキリスト教徒も自分の教義に共鳴してくれるに相違ない」と確信していたらしいのだが、生憎その期待通りにはならなかった。それもその筈、その当時全ヨーロッパにしっかりと根を下ろしていた所謂(いわゆる)キリスト教の主流派なるものの思想は、砂漠の〈ナザレ人〉たちのそれとは、まったく無縁だったからである。

 それはとも角として、マホメット教の側では、その後も終始一貫、キリスト教とは親戚同士のつもりでいた。にもかかわらずヨーロッパのキリスト教徒は、マホメットを「悪魔の手先」と罵(ののし)って、紀元十一世紀末から約二百年、七回に亘(わた)って例の十字軍をしかけた。もっとも、その結果がキリスト教にとって大きなマイナスだったことは衆知の通りである。

 しかも十字軍の後遺症はそれだけではなかった。ローマ法皇やキリスト教国の国王たちが、「エルサレム奪回」などと現(うつつ)をぬかしている隙(ひま)に、お膝元のヨーロッパでは、「ナザレ人のイエスの本来の精神に帰れ」という運動が澎湃(ほうはい)とまき起って、その勢力はローマ法皇の権威を根底からゆり動かすに至ったのである。それはイエスの時代から約千二百年、マホメットから約六百年後のことだった。

                 ◇

 教会側は最初のうち、異端審問所(宗教裁判所 インクイジション Inquisition)

の制度を通じて個々の異端者を摘発したり処罰していたが、遂に国内向けの〈異端討伐十字軍〉を大々的に組織して闘わなければならなくなった。

 それにしても、「ナザレ人のイエスの精神に帰れ」という運動が、なぜ異端なのだろうか?

 「自分たちだけがイエス・キリストの教義を最も正しく継承している」と主張してきた正統派にとって、絶対に許容できないのは、いわゆる〈異端者〉たちが、常に口を揃えて「この世は悪魔によって支配されている」と吹聴することだった。

 言うまでもなく、 それは「ローマ法皇や国王たちが悪魔の手先だ」と断定するのと同じである。正統派(すなわち教会側)が、そういう危険思想の持ち主たちを「世に害毒を流す不正の輩(やから)」として徹底的に抹殺しようとしたのも一応もっともな話かもしれない。

 ただし、その残虐きわまる弾圧は、さらにヒステリックな魔女狩りへ脱線して、民衆を震えあがらせたばかりでなく、キリスト教徒全体を、「さわらぬ神に祟りなし」という〈宗教そのものに対する無関心〉の状態へ追いこむ羽目になった。

 その結果、民衆は区々たる宗教の改革よりも、社会組織そのものを根本的に変革することを意図しはじめた。つまり、宗教や教会のことなどを歯牙にかけない〈異端者〉(革命家)がヨーロッパに跋扈(ばっこ)しだしたのである。

 かくして、例の〈異端討伐十字軍〉からちょうど六百年後に、新しいタイプの〈異端者〉の急先鋒としてマルクスとエンゲルスが現れた。しかも彼らが予言したプロレタリア革命(新しい終末論)の筋書きは、その後着々と具体化して、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営と、アメリカ合衆国を盟主とする自由主義陣営が、まったく互角の勢力で激しく競り迫(せり)あうという所にまで切羽詰まってきたのである。

 しかし、その反面「なにがなんでも戦争をしてはならない」という錦の御旗が、〈全人類の願い〉として高々と掲げられているのも事実だ。

だが、少々気になるのは、「平和を維持するという美名に隠れて、現在の世の中に蔓延んしている邪悪や悲惨や虚偽を、そのまま不問にしておこうという、(日本の中流階級をも含めた)特権階級のエゴイズムが仄かにちらついていることだ。下手すると異端審問時代に逆転しかねない気配すらある。

​ そこで改めて、「この世は悪魔に支配されている」という、本来の〈異端者〉たちの主張を再検討する必要が起こってくるのである。

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           17  現代にもあるファウスト物語

 

  十二世紀末から十五世紀にかけてのヨーロッパには、なんともいえぬ怪奇な雰囲気が漲(みなぎ)っていた。異端として排斥された人々が、教会の高位聖職者を悪魔よばわりしただけでなく、その異端者を摘発する側でも、彼らを悪魔ときめつけて、根こそぎ殲滅すべく必死だったのである。いうなれば、当時の宗教界の最大の関心事は「神とはなんぞや」(神学)ではなく、むしろ「悪魔とはなんぞや」(悪魔学)だったわけだ。

 例えば、自分たちの残虐な行為を正当化しようとする異端審問官たちは、あい継いで荒唐無稽な〈悪魔研究の書〉なるものを著述して世に広めた。おかげで法皇庁の意図(おもわく)とは裏腹に、悪魔の実在を信ずる人々がヨーロッパ中に蔓延する羽目になった。そこで、それに呼応して、悪魔を主題とする民話や伝説が到る所でやたらと作り上げられたのも当然の成行だった。つまり例の〈ファウスト博士〉こそは、そういう悪魔崇拝(サタニズム)大流行の時代を代表する最も有名な物語の一つだったのである。

 ファウストは、自分の死後、地獄に落ちて永劫の猛火に焼かれるのを承知の上で、その魂をメフィストフェレスという悪魔に売り渡した。一方、悪魔は「ファウストがこの世に生きている限りは、どんな無理な注文でも必ず叶える」という約束をする。

​ その結果、ファウストが望んだものは、地位でも名誉でも財産でも恋人でも、自由自在に手に入れることができた。しかし、やがて寿命が尽きて、いよいよ死ぬことになると、今までの歓楽に満ちあふれた毎日とは打って変わった、身の毛もよだつ苦しみや悩みや落胆が、前途に待ちかまえていた――というのが、その粗筋である。

                 ◇ 

 

 

 おそらく現代人の多くが、「そんなことは根も葉もない作り話(フィクション)」としか思わないだろう。だが二十世紀の今日でも、われわれの周囲には、ファウストの物語を髣髴(ほうふつ)たらしめる現象が、所嫌わず蠢(うごめ)いている事実に気がついた人は、慄然とせざるを得ないはずである。

 もちろん〈悪魔に魂を売った人〉なんて、いくら探し廻っても実際には見当たらないにきまっている。しかし、「悪魔に……」ではなく〈金に魂を売る人〉なら、その辺にいくらでもいる――と断言してもいいだろう。

 金さえあれば、どんな楽しみでもできる。金さえあれば、誰でも一応の学歴を身につけることができる。そして一応の学歴さえあれば、あとは金次第で望み通りの就職もできる。好きな人と結婚できる。どんな豪壮な家にも住める。病気になっても、いいお医者にかかれる。要するに、金さえあれば限りなく快適極まる生活ができる――と思いこんでいる人が、世の中には満ち溢れている。

 一国の政治にしても、予算を組むことが第一。しかも、その予算を組む政治家は、金がなければ立候補することも当選することもできない。まさに「人間万事 金の世の中」なのである。

 にもかかわらず、どんなに金を持っていても、いよいよ死が目前に迫ってきた時には、そのお金が何の役にもたってくれない。

 最後の土壇場になって気がついてみると、今までの〈金による幸福〉〈金による心の平安〉は、ほんの束の間の〈見せかけの幸福〉〈幻の平安〉にすぎなかったのだ。だが、そんなことを臨終の真際になってわかっても、もう取り返しがつかないのである。

 このように比較してみると、現代の〈お金〉というものは、中世の悪魔にそっくりではないだろうか?

                 ◇

 

 もっとも悪魔によく似ているのは〈お金〉ばかりではない。〈人生の生き甲斐〉なるものについて考えてみよう。

 新聞や雑誌を読んでも、ラジオを聞いても、テレビを見ても、そして学校でも、職場でも、最も広く話題となるもの、最も多くの人が憧れるものは、立身出世すること、有名になること、ほめられること、人目につくこと、ひとより豊かな暮らしをすること……などだ。

 しかし、そのためには、明けても暮れても周囲の人と対立したり、争ったり、憎しみあったり、苦しめあわなければならない。まるで底無し沼から這い上がろうとする人々が、お互いの足を引っ張りあっているようなものだ。

 いくら平和だの協調だの助け合いだのと唱えても、社会の仕組みそのものが、そうはできないようになっているのである。では社会をそのように組立てて、それを何時までも温存しておこうとする黒幕は何処にいるのか?

 もっと端的に言えば、こうやって世間の人々を、煽(おだ)てたり、嗾(けしか)けたり、威(おど)かしたりして、次から次へと地獄のどん底へ追い込んでゆく、目に見えない力とは何なのだろう?

​ ここにもまた、いわゆる悪魔の仕業が働いているように思えてならないのである。


 

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           18 丸暗記教育の行きつく先

 

 中国の天台宗は開祖・天台大師が口述したと伝えられている〈小止観〉に「覚知魔事」という章がある。平ったく言えば「悪魔に気をつけろ」というだけの話である。

 それにしても天台大師は、この章の劈頭(へきとう)で「道高ければ魔盛んなり」という鋭い言葉を投げかけている。「修行の段階が高まれば高まるほど、それを妨げようとする悪魔の手練手管も巧妙になる」というわけだ。

 およそ真理の探究を志す者は、地道にこつこつと研鑽を重ねている限りは、まあまあ無難だが、何かのはずみで急に有名になって、世の中からもてはやされるようになると、つい自分がスーパーマンにでもなったような錯覚を起こしがちだ。もちろんそれこそまさに悪魔の落とし穴なのだが、問題はそれだけではない。

 かりに、仏伝や福音書に描かれている釈迦やイエスのように、悪魔の誘惑を退けたからといって、それで「もう安心」というわけにはゆかない。「有名になった」というだけの理由で、わけもなく集まってくるような俗世界の有象無象どもに担ぎあげられて、うっかり「新しい一宗一派を作ろう」などという野心を抱きはじめたら危い。人類の歴史を振り返ってみると、その時すでに悪魔は恐るべき時限爆弾を仕掛けているのである。

​ なぜならば、いずれの教団にせよ(仏教でもキリスト教でもイスラム教でも)組織が固定化してくると、その指導的立場にあるものは、ややもすれば初心の求道者たちに対して、型にはまった信仰内容を、鵜呑みにさせたがるものだ。しかしその丸暗記式宗教教育の常套手段が、やがて一般の〈教育〉にまで濫用されるに至ると、悪魔的様相が極めて濃厚になってくる。

 論より証拠、近代国家の政府(つまり特権階級の代表者たち)が、こぞって丸暗記式授業や○×式試験制度を奨励するのは、何より第一に、その統治下にある人民の頭脳を、為政者たちが操縦しやすいタイプに育て上げる目的に他ならぬのである。当然の結果として、民衆は〈物事を自主的に見きわめる能力〉を失い、何かにつけて附和雷同しやすくなるばかりだ。

 もっとも最近よく耳にするのは、「今日の日本が世界一の繁栄する国となったのは、明治維新以降、政府が欧米の先進国にならって積極的に〈教育〉を普及し、極めて高い水準に引きあげたからだ」という意見だ。

 しかし、その反面「日本人は器用に外国の模倣をするが、真の独創性は持っていない」とか、「最近の日本はかつての軍国主義時代に逆戻りする気配がある」と指摘する人があることも見のがすわけにはゆかない。

 そこで念のため繰り返して言うが、〈丸暗記式教育〉は今や世界全体の趨勢であって、もちろん日本だけの特殊な事情ではない。にもかかわらず、「自分たちが悪魔に操られて、全人類の知能をマイナスの方向に駆りたてている」と気がついている宗教家や教育者は殆どいないだろう。そこが悪魔の芸の細かいところなのである。

 それはとも角として、人類全体が悪魔の手に乗せられていながら、まったくそのことを意識していないのは〈宗教〉や〈教育〉の問題ばかりではないようだ。

                  ◇

 二十世紀になって科学技術が飛躍的に進歩したおかげで、人類全体の生活水準が非常に高まったと誰しもが信じている。だが、よくよく考えて見ると、われわれが多大の恩恵をこうむっている〈科学技術〉なるものは、次の大戦争に備えての、ありとあらゆる兵器に関する発明発見の、ほんの一部分を、おこぼれとしてめぐんでもらっているにすぎないのである。

 したがって、科学のおかげで、われわれの日常生活が豊かになりつつある背後では、その何千何万倍の規模で、人類撲滅どころか、太陽を中心とする天体の集団までも、根こそぎ破壊しかねない核爆発力利用の研究成果が、着々として蓄積されつつあるという事実を、はっきりと凝視しなければいけない。

 

                  ◇

 

 一方、医学の進展、生活環境(衣食住)の向上、スポーツの普及などによって、人間の寿命がのびつつあるのも確かである。しかし、一億年前の白亜紀に、あれほど繫栄した恐竜が、なぜか一斉に死滅したことを思いくらべると、あまりにも快適な人為的環境に馴れすぎている人類の肉体は、近い将来に必ず突発すると予想されている数々の自然界の大異変に耐えて、その危機を乗り切ることができるのだろうか?

 初めは万事がトントン拍子で都合よく運んでいると思わせておいて、知らぬ間に二進も三進も(にっちもさっちも)行かぬ窮地に追いこんでしまうのは、悪魔が最も得意とする手口だという。

​ 一体どうしたら、われわれはその魔手から逃れることができるのか? 人類の運命は、まさに容易なことでは突破口が発見できない八方塞がりのどん底にあるわけである。

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● 戦争をなくすための、超~意外な方法!?

● 世界はまだ終わらない、光あるうち光の中を歩め!

Tolstoy's vision hack  reveals for the first time in the world

パンソフィア・ファクトフルネス・マインドフルネス・ワンネス・聖書暗号解読 

「戦争と平和」を書いたトルストイの白日夢を世界初公開

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    ━ 文豪トルストイが予言していた最終戦争直前に現れる別なもの】

「最終的な人類撲滅戦争の前夜、 ~中略~ その直前にそれを未然にくいと

 める素晴しく大きな力が出現する…( 松居桃楼「悪魔学入門」 本文より)」

   ━ノストラダムスが百詩篇第4巻31番で劇的に進化した新しい脳をもつ賢人

Sophe】の出現を予言していたことを五島勉氏が2020年逝去直前に解読

「これまで解決できなかったことも新しい脳の人達には解決できるようになる

 戦争も経済も愛憎も。そういう時代が来る…(kindle版あと書きより)」

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Thus Spake

 大法螺説法

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汎知性 VS 反知性 の最終戦争 勃発

Digital archive of Toru Matsui

Ultimate Oneness

Ultimate factfulness

Ultimate mindfulness

Ultimate Bible Decryptor

フィロソファー(叡智者)が次々誕生する新世界

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Ultimate Vision Hacker

Also sprach  松居桃樓 这样说话

最終戦争直前に現れるトルストイの予言の「別なもの」

‟永遠の生命の奥義”とは?

世界はまだ終わらない、光あるうち光の中を歩め!

戦争をなくすため、私たちは何をなすべきか、なさざるべきか

 聖書に暗号で隠されていた

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これまでの人間の既成概念ではまったく想像もつかないような〈ものの考え方〉
って、ゔ~ん……、それ自体、さっぱり想像つきませ~んの巻
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   Great Voyage   5   

Kingdom in your Geist

ボストングローブ

松居桃楼氏、田所静枝氏のお話によれば、この記事に興味を持たれた関係者の方が直接アメリカのボストングローブ社を訪れ、マイクロフィルムに収められた当時の新聞記事をくまなく調査したにもかかわらず、残念ながらトルストイの予言に関する元記事の発見には至らなかったということです。

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